昭和のラジオが逝く…

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写真:アール・エフ・ラジオ日本旧本社(横浜・西区)※資料写真

【デイリー】ミッキー安川さん死去…息子マットが報告

かつては、テレビ東京などでも番組を持っていらっしゃって、突撃取材のミッキー安川さん…と言っても、私が知っているのは知識としてだけで、当時の番組を見ていた記憶は年齢的に無いので、

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ミッキー安川さんといって思い浮かべるのは、ラジオ日本ですね。当地ですと遠距離受信になってクリアではないので、番組をいつも聴いていたというわけではありませんが、ラジオ日本のタイムテーブルにはいつも、ミッキーさんの番組がたくさんあって、年齢を感じさせない活躍ぶりでしたよね。ご冥福をお祈りします。

ラジオ日本といいますと、神奈川県域の放送局でありながら、本社機能や番組制作機能は実質東京にあったり、NHK国際放送のラジオ日本や、ニッポン放送と混同するような名前であったり、番組編成が突如変わったり、クーデターがあったりと、とにかくまあ、話題の多い放送局ですけれども、今では日本テレビ系のAM局という位置づけになっていますよね。

神奈川県域なのにそれはどうなの…という気もしますが、生き残り策としては正しいですよね。私は大学生になってすぐ、初めて自力で東京へ遊びに行ったのですけれども、まずは横浜の放送局の写真を撮ろう!と、当時のラジオ日本本社を見て愕然とした記憶があります。古い…小さい…。

実質、本社が東京だと知ったのはその時でした。のちに、この鉄塔を無断でタクシー無線に貸していたことが発覚…なんてこともありましたね。今はここに予備送信所があるそうです。

当時、旧社屋みて昭和を感じたわけですれども、ミッキー安川さんがお亡くなりになって、ひとつ昭和のラジオが逝ってしまった…という感じですね。

トラベル英語SOS―Help me (ワニの本 397)

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コメント

  1. masa より:

    TOPPYさん、こんばんは。
    ミッキー安川、懐かしい名前です。
    ロイ・ジェームス、E.H.エリック、ミッキー安川の3人は、
    昭和の外タレの草分けですね。
    映画に出たり、テレビの司会をこなしたり、コマーシャルに出たりと、
    引っ張りだこでした。
    べらんめぇ調で、日本人より達者に日本語を操ったロイ、
    耳をぴくぴく動かし、変な外人で売ったエリック。
    彼らに対しミッキーは、丸いしゃくれあごで毒舌をくり出す、
    あくの強いキャラでした。
    昭和の高度成長とアメリカ文化の洪水。
    それらを背景に立ち回る彼らの姿を思い出すと、
    日本の放送事業の歴史の一場面を目撃していたのかも知れません。

  2. >masaさま こんばんは
    私はその黄金期のことについては、
    残念ながら知らないのですが、
    資料を見ると、ホント、すごかったみたいですね…。
    戦後の日本に放送を通してもたらされたもの、
    その象徴だったと言えますよね。
    昭和がまたひとつ消えてしまった…ですね…。

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