名古屋の戦後70年発展特集・放送局代表は中京ユー・エッチ・エフテレビ 原点は残り物クロスネット

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8月21日付中日新聞

広告企画ではありますが

 広告企画として、21日付の中日新聞朝刊に掲載された特集がとても興味深いものでした。今回の企画は「戦後70年特別企画」として「新聞記事で振り返る!戦後70年の発展・前編」というもの。

 1945(S20)年8月16日敗戦翌日の朝刊に始まり、50年代は「名古屋城天守閣再建」、60年代は「東海道新幹線が開業」、70年代は「名古屋高速が開通」と来て、大きな広告とともに、2つの企業のスタートが掲載されていました。

 ひとつは、1971(S46)年の「ユニー株式会社誕生」。ユニーでは、その当時の中日新聞をパネル展で振り返る企画を順次各店舗で行っていることから、タイアップであることが分かります。

 その右側にあったのが、放送局の誕生についてでした。

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エイチじゃなくてエッチでした

 1969(S44)年に誕生した放送局として掲載されていたのが「中京テレビ」です。

 名古屋には、CBC中部日本放送、東海テレビ放送、テレビ愛知という3つの中日新聞系の放送局があるなかで、そうではない中京テレビが広告企画として出稿していることに一瞬驚きましたが、ユニーとセットというところで納得できました。

 中京テレビでは、よくユニーが提供の特別番組が放送されたりしますものね。

 そしてそこには、中京テレビの歴史が書かれているのですが、設立時は「中京ユー・エッチ・エフテレビ放送」であったとあります。

 そうなんですよね。中京テレビは名古屋で初めてのUHFテレビ局。当時は「UHFコンバーター」をテレビに設置するか、新しいテレビを買わないと見られないチャンネルだったのです。

 開局日のテレビ欄が掲載されていて「35」というチャンネルナンバーも、地デジ化で「4」となった今は懐かしく思えます。

クロスネットだった

 また、記事にはこうあります。

1969年4月の本放送開始時は、複数局の番組を放送するクロスネット体制でした(1973年に日本テレビ系列に一本化)

 これが、名古屋のテレビの歴史で最も重要なポイントです。テストに出ますよ。

 当時、東京には5つのテレビ局がありました。

  • 日本テレビ
  • TBSテレビ
  • フジテレビ
  • NETテレビ(現・テレビ朝日)
  • 東京12チャンネル(現・テレビ東京)

 そのうち東京12チャンネルは首都圏独立テレビ局という位置づけで、なおかつ再建中であり、ネットワーク化どころではありませんでした。なので、キー局は4つでした。

 そして名古屋は、CBCテレビ、東海テレビ、名古屋テレビにつづいて、4番目のテレビ局として中京テレビは開局しています。

 東京に4つのキー局があり、名古屋に4つ目のテレビ局ができたとなれば、4対4で系列を組むことで、クロスネット局は誕生しないはずなんですよね。

 ところがです。それまで、日本テレビとNETテレビの「いいとこどり」編成をしていた、クロスネットの名古屋テレビが、どちらも手放すことをせず、また、コンバーターをつけないと見られないという中京テレビはスポンサーからも敬遠され、名古屋テレビのいいとこどり編成は継続されることになったのです。

 ですから、名古屋テレビは日本テレビとNETテレビの人気番組をネットする「いいとこどりクロスネット」。一方の中京テレビは日本テレビとNETテレビの番組のうち名古屋テレビがやらない不人気番組をネットする「のこりものクロスネット」となり、中京は番組が足らず、東京12チャンネルの番組も調達するも、朝の放送開始は9時からという状況が続きました。

一本化は逆になると思われていた

 当時から、日本テレビは巨人戦を武器に人気番組を放送、NETは正式名称を日本教育テレビという地味な存在で、いずれ系列を一本化する際には、先発の名古屋テレビが読売新聞資本であることから日本テレビ系列に、後発でUHFの中京テレビがNETテレビ系列に収まると現場レベルでは言われており、社員交流もあったのですが…。

 結果は意外なことに、中京テレビが日本テレビ系列となることで決着名古屋テレビは読売新聞資本のままNETテレビの系列となったのです。現在でも、テレビ朝日系列ではありますが、名古屋テレビ(メ~テレ)には読売新聞資本が入っており、日本テレビの主要株主に名古屋テレビは名を連ねています。

 日本テレビが「日テレ(ニッテレ)」で、名古屋テレビが「メ~テレ」なのも、どこか通じるところがありますよね。

 でも、実際の系列は逆なのです。

 記事には、その後の中京テレビの成長ぶりが書かれており、「お笑いマンガ道場」「5時SATマガジン」「P.S.愛してる!」そして「キャッチ!」という人気自社制作番組の数々。さらには、来年秋のささしまライブ24新社屋移転、「中京テレビのこれからの展開には期待が集まります」と締めくくられています。

 中京テレビが、後発UHF局にもかかわらず、自前の人気番組を次々と開発してきたその背景には、開局当初の「のこりものクロスネット」で番組が足りないという時代があったことが大きそうですよね。

 創業時のDNAは、その後の企業風土に影響するものなのだなあ…と「中京ユー・エッチ・エフテレビ誕生」の記事を見て思いました。「エイチ」じゃなくて「エッチ」なのがまた、時代ですよね。

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