2005.10.03 Monday
<イベント放送局とは?>
まずはイベント放送局とは何かをご紹介しましょう。日本で、いや世界で初めて、イベントのための交通情報や催し物の情報を流す放送局が設置されたのは、1985(S60)年の国際科学技術博覧会、つくば科学万博でした。愛称は「ラジオきらっと」。周波数は855KHz。なんとAM放送だったのです。当時はイベント放送局に関する法律が無く、このラジオきらっとは実験局扱いだったためにCMは流すことができませんでした。
そして法律が整備され、正式にイベント放送局として初めて開局したのが、1989(H元)年のアジア太平洋博覧会「よかトピア」の「ラジオMOMO」です。その同じ年に、国内第5番目となる、名古屋に初めてイベント放送局が設置されました。「ひと・夢・デザイン−都市が奏でるシンフォニー」をテーマに開催された世界デザイン博覧会の「FM DEPO」です。
(※クリックすると当時の雰囲気を味わえます。)
<名古屋とFM DEPO>
このFM DEPOのキャッチフレーズが「音のパビリオン」だったのです。当時この地方にはNHK-FMとFM愛知、FM三重しかなく、番組と番組の境界がはっきりしないシームレス編成で、ジングルが多様され、情報を軽快なジングルとBGMで伝えるというFM DEPOの斬新な放送内容は、この地方のFMリスナーに衝撃を与えました。このFM DEPOはCBCとKDD(当時)が運営を行い、ニューヨーク大学ラジオ科専攻のDJとCBCのアナウンサーが番組を担当しました。その後フジテレビのスーパータイムを担当した松山香織さんや、今やテレビ東京で株式関係のニュースキャスターをされている槇徳子さんなどが、英語交じりの軽快なDJをされていたなんて今では信じられません。
FM DEPOは「道路交通情報センターと回線を結び、どの時間に交通情報、駐車場情報、パビリオン情報が放送されるかが全て決まっており、最多の午前10時台には6回も道路交通情報センターと回線を結び、きめ細やかな情報を提供しました。FM DEPOは300wという高出力で放送されたため、広範囲での聴取が可能となり、東海地方第3の民放局として愛聴されました。
FM DEPOの閉局後、このFM DEPOによって衝撃を受けたリスナーなどの活動と、大都市に2局目のFM局を配置するという電波政策によって、1993(H5)年にZIP-FMが開局するのです。

<FM LOVEARTH>
あのFM DEPOから16年の時を経て、愛知で再び大イベントが開催されることになりました。「愛・地球博」です。愛・地球博にも公式イベント放送局が設置されることになりました。その名は「FM LOVEARTH」。デザイン博でFM DEPOを手掛けたCBCと、FM DEPOの流れを汲んだZIP-FMが共同で運営にあたることになりました。
しかし、FM DEPOとは全くコンセプトも状況も異なりました。
名古屋のFM放送の環境は、あの頃とは全く変わっていました。ZIP-FMの後外国語放送局のRadio-iが開局し、岐阜FMもできました。さらには県内各地に市町村単位で放送を行うコミュニティFMも複数開局し、周波数の空きが少なくなっていたのです。FM LOVEARTHの周波数は77.3MHz。三河地区ではZIP-FMの豊橋中継局(77.1MHz)によって聴取エリアはかなり制限され、FM DEPOほどのエリアを確保することはできませんでした。

そして、既にZIP-FMやRadio-iのようなシームレス編成になれてしまった人々に向かってそれをウリにしても仕方が無いということからか、FM LOVEARTHのコンセプトは「70、80年代の音楽」となりました。IT時代を反映して楽曲は全てハードディスクによる送出、道路交通情報などはインターネットによって提供されたものをDJが読むというスタイルになりました。これが困った問題を発生させてしまうのです。
では、ブースにお邪魔します。

まず驚いたのはスタッフの少なさです。ブースのなかには、DJ、ディレクター、アシスタントの3人しかいないのです。生放送で喋り、曲をかけ、なおかつスタジオの外にいるリスナーからの、サインやグッズの催促に応じるということを3人で回しているのです。これには驚きました。
曲やジングル、そしてアクセスインフォメーションなどのBGM、CMは全てハードディスクからプログラミングされたとおりに自動送出されます。ですので、中継などで回線を結ぶ時以外はミキサーは無人。ラジオというと、かつでFM DEPOで見た、ミキサーとDJが手でやりとりをして、タイミング良く曲をかけるのを見ていると快感!というイメージがあったのですが、ここにそれはありません。機械がすべてタイミング良く音を送出してくれるのです。DJは曲順や残り時間が示されたディスプレイを見て、曲が連続しているタイミングでスタジオからバックヤードに現れ、我々を出迎えてくれました。

そしてスタジオに入れていただけることになりました。といいましても別に出演させていただくわけではなく、曲が連続している間の見学です。スタジオの扉はさすが防音設計。重い。扉にはCBCとZIP-FM、FM LOVEARTHのロゴなどがデザインされていました。

DJの目の前にはたくさんの液晶モニタが並べられています。交通情報、リニモの運行状況、シャトルバス、駐車場の情報が刻一刻とリアルタイムで表示されます。放送中は、ディレクターが読むところを順に指差し、DJが情報を読み上げていきます。交通情報は地図状になっています。しかしです。そのディスプレイの地名には読み仮名がふってありません。最初から下調べをしていたのか、全く間違わなかったDJもいますが、当初、地名の読み間違いが起きてしまった原因はここにあります。
FM LOVEARTHは、道路交通情報センターとラインを結ばず、DJが交通情報も読みます。最初のうちは結構情報に穴があるといいますか、間違った読み方や、不適切な案内もありました。なるほど、こういうスタイルだったからそういうことが起きてしまったわけですね。システムに読み仮名は必要だったかも。
といいますか、よく見るとその画面、日本道路交通情報センターのホームページが表示されているだけのような…。特に業務用のものではなかったんですね…。

DJの席に座らせていただくと…、当然ですがガラス一枚を挟んで向こう側にはお客さんがたくさんいます。これ、結構圧迫感がありますね。サテライトスタジオってリスナーにとっては親しみが持てて良いですけど、喋る側は結構大変かも。しかもリスナーはグッズの催促やサインの催促を、DJが喋っている間でもお構い無しにしてくるのですから…。

この愛・地球博は「日々改善」が成功の原因といわれていますが、このFM LOVEARTHもそうだったと思います。途中から交通情報が格段に良くなりました。かつては杓子定規な「県道6号」「国道302号」という言い方だったのが、「県道6号、通称グリーンロード、その先広小路通」「国道302号、通称環状2号線」といった表記に改められ、とてもわかりやすくなりました。
かつて、FM DEPOが閉局した時に、私は途方も無い寂しさを感じました。しかしFM DEPOの流れはZIP-FMに受け継がれ、開局当初のZIP-FMにはFM DEPOの香りも少しあったことで名残惜しさを解消できました。それでも、今もたまに当時の録音テープを聞いたりするのですけれども。
しかし、このFM LOVEARTHを踏襲するFM局が名古屋にできるということはあり得ません。一応、この秋からはLOVEARTHのDJが担当する番組がCBCラジオで始まるようですが、このFM LOVEARTHのような放送形態は二度と無いでしょう。それぞれのDJが長時間担当し、にもかかわらず頻繁に登場するという点が、DJに強い親近感を持つことができ、アットホームな雰囲気が生まれた理由ではないでしょうか。

FM LOVEARTHとは何だったのか。たった4人のDJで1日17時間の放送を回し、情報はインターネットから拾って喋る、曲は全てハードディスクによる自動送出。それは未来的というよりは、究極の節減。お金をかけなくても、少ない人員でもこれだけのものができるんだよという見本だったのか…。未来に向けて省エネを具現化した放送局だったというならば、この万博の主旨にも合致します。
単に予算が少なかったからこうなったのではなく、高い理想を掲げたイベント放送局であったと、私は信じたいと思います。

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見学させていただいたにもかかわらず毒づいて申し訳ありません。でも、会期中ずっと聞いていたからこそ、感じたことをそのまま書かせていただきました。スタジオ見学に誘ってくださった友人に心から感謝します。そしてFM LOVEARTHのみなさんにももちろん感謝です。
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まずはイベント放送局とは何かをご紹介しましょう。日本で、いや世界で初めて、イベントのための交通情報や催し物の情報を流す放送局が設置されたのは、1985(S60)年の国際科学技術博覧会、つくば科学万博でした。愛称は「ラジオきらっと」。周波数は855KHz。なんとAM放送だったのです。当時はイベント放送局に関する法律が無く、このラジオきらっとは実験局扱いだったためにCMは流すことができませんでした。
そして法律が整備され、正式にイベント放送局として初めて開局したのが、1989(H元)年のアジア太平洋博覧会「よかトピア」の「ラジオMOMO」です。その同じ年に、国内第5番目となる、名古屋に初めてイベント放送局が設置されました。「ひと・夢・デザイン−都市が奏でるシンフォニー」をテーマに開催された世界デザイン博覧会の「FM DEPO」です。
(※クリックすると当時の雰囲気を味わえます。)
<名古屋とFM DEPO>
このFM DEPOのキャッチフレーズが「音のパビリオン」だったのです。当時この地方にはNHK-FMとFM愛知、FM三重しかなく、番組と番組の境界がはっきりしないシームレス編成で、ジングルが多様され、情報を軽快なジングルとBGMで伝えるというFM DEPOの斬新な放送内容は、この地方のFMリスナーに衝撃を与えました。このFM DEPOはCBCとKDD(当時)が運営を行い、ニューヨーク大学ラジオ科専攻のDJとCBCのアナウンサーが番組を担当しました。その後フジテレビのスーパータイムを担当した松山香織さんや、今やテレビ東京で株式関係のニュースキャスターをされている槇徳子さんなどが、英語交じりの軽快なDJをされていたなんて今では信じられません。
FM DEPOは「道路交通情報センターと回線を結び、どの時間に交通情報、駐車場情報、パビリオン情報が放送されるかが全て決まっており、最多の午前10時台には6回も道路交通情報センターと回線を結び、きめ細やかな情報を提供しました。FM DEPOは300wという高出力で放送されたため、広範囲での聴取が可能となり、東海地方第3の民放局として愛聴されました。
FM DEPOの閉局後、このFM DEPOによって衝撃を受けたリスナーなどの活動と、大都市に2局目のFM局を配置するという電波政策によって、1993(H5)年にZIP-FMが開局するのです。

<FM LOVEARTH>
あのFM DEPOから16年の時を経て、愛知で再び大イベントが開催されることになりました。「愛・地球博」です。愛・地球博にも公式イベント放送局が設置されることになりました。その名は「FM LOVEARTH」。デザイン博でFM DEPOを手掛けたCBCと、FM DEPOの流れを汲んだZIP-FMが共同で運営にあたることになりました。
しかし、FM DEPOとは全くコンセプトも状況も異なりました。
名古屋のFM放送の環境は、あの頃とは全く変わっていました。ZIP-FMの後外国語放送局のRadio-iが開局し、岐阜FMもできました。さらには県内各地に市町村単位で放送を行うコミュニティFMも複数開局し、周波数の空きが少なくなっていたのです。FM LOVEARTHの周波数は77.3MHz。三河地区ではZIP-FMの豊橋中継局(77.1MHz)によって聴取エリアはかなり制限され、FM DEPOほどのエリアを確保することはできませんでした。

そして、既にZIP-FMやRadio-iのようなシームレス編成になれてしまった人々に向かってそれをウリにしても仕方が無いということからか、FM LOVEARTHのコンセプトは「70、80年代の音楽」となりました。IT時代を反映して楽曲は全てハードディスクによる送出、道路交通情報などはインターネットによって提供されたものをDJが読むというスタイルになりました。これが困った問題を発生させてしまうのです。
では、ブースにお邪魔します。

まず驚いたのはスタッフの少なさです。ブースのなかには、DJ、ディレクター、アシスタントの3人しかいないのです。生放送で喋り、曲をかけ、なおかつスタジオの外にいるリスナーからの、サインやグッズの催促に応じるということを3人で回しているのです。これには驚きました。
曲やジングル、そしてアクセスインフォメーションなどのBGM、CMは全てハードディスクからプログラミングされたとおりに自動送出されます。ですので、中継などで回線を結ぶ時以外はミキサーは無人。ラジオというと、かつでFM DEPOで見た、ミキサーとDJが手でやりとりをして、タイミング良く曲をかけるのを見ていると快感!というイメージがあったのですが、ここにそれはありません。機械がすべてタイミング良く音を送出してくれるのです。DJは曲順や残り時間が示されたディスプレイを見て、曲が連続しているタイミングでスタジオからバックヤードに現れ、我々を出迎えてくれました。

そしてスタジオに入れていただけることになりました。といいましても別に出演させていただくわけではなく、曲が連続している間の見学です。スタジオの扉はさすが防音設計。重い。扉にはCBCとZIP-FM、FM LOVEARTHのロゴなどがデザインされていました。

DJの目の前にはたくさんの液晶モニタが並べられています。交通情報、リニモの運行状況、シャトルバス、駐車場の情報が刻一刻とリアルタイムで表示されます。放送中は、ディレクターが読むところを順に指差し、DJが情報を読み上げていきます。交通情報は地図状になっています。しかしです。そのディスプレイの地名には読み仮名がふってありません。最初から下調べをしていたのか、全く間違わなかったDJもいますが、当初、地名の読み間違いが起きてしまった原因はここにあります。
FM LOVEARTHは、道路交通情報センターとラインを結ばず、DJが交通情報も読みます。最初のうちは結構情報に穴があるといいますか、間違った読み方や、不適切な案内もありました。なるほど、こういうスタイルだったからそういうことが起きてしまったわけですね。システムに読み仮名は必要だったかも。
といいますか、よく見るとその画面、日本道路交通情報センターのホームページが表示されているだけのような…。特に業務用のものではなかったんですね…。

DJの席に座らせていただくと…、当然ですがガラス一枚を挟んで向こう側にはお客さんがたくさんいます。これ、結構圧迫感がありますね。サテライトスタジオってリスナーにとっては親しみが持てて良いですけど、喋る側は結構大変かも。しかもリスナーはグッズの催促やサインの催促を、DJが喋っている間でもお構い無しにしてくるのですから…。

この愛・地球博は「日々改善」が成功の原因といわれていますが、このFM LOVEARTHもそうだったと思います。途中から交通情報が格段に良くなりました。かつては杓子定規な「県道6号」「国道302号」という言い方だったのが、「県道6号、通称グリーンロード、その先広小路通」「国道302号、通称環状2号線」といった表記に改められ、とてもわかりやすくなりました。
かつて、FM DEPOが閉局した時に、私は途方も無い寂しさを感じました。しかしFM DEPOの流れはZIP-FMに受け継がれ、開局当初のZIP-FMにはFM DEPOの香りも少しあったことで名残惜しさを解消できました。それでも、今もたまに当時の録音テープを聞いたりするのですけれども。
しかし、このFM LOVEARTHを踏襲するFM局が名古屋にできるということはあり得ません。一応、この秋からはLOVEARTHのDJが担当する番組がCBCラジオで始まるようですが、このFM LOVEARTHのような放送形態は二度と無いでしょう。それぞれのDJが長時間担当し、にもかかわらず頻繁に登場するという点が、DJに強い親近感を持つことができ、アットホームな雰囲気が生まれた理由ではないでしょうか。

FM LOVEARTHとは何だったのか。たった4人のDJで1日17時間の放送を回し、情報はインターネットから拾って喋る、曲は全てハードディスクによる自動送出。それは未来的というよりは、究極の節減。お金をかけなくても、少ない人員でもこれだけのものができるんだよという見本だったのか…。未来に向けて省エネを具現化した放送局だったというならば、この万博の主旨にも合致します。
単に予算が少なかったからこうなったのではなく、高い理想を掲げたイベント放送局であったと、私は信じたいと思います。

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見学させていただいたにもかかわらず毒づいて申し訳ありません。でも、会期中ずっと聞いていたからこそ、感じたことをそのまま書かせていただきました。スタジオ見学に誘ってくださった友人に心から感謝します。そしてFM LOVEARTHのみなさんにももちろん感謝です。
<< 公園の森じゃない、本物の森−里の自然学校(09/30)
シャムロックちゃんと久々の再会(05/28) >>







