「レディス4」と高崎一郎さん…日常に寄り添い続けた午後4時

テレビ東京系列で毎週月曜から金曜の午後4時から放送されている「レディス4」。1983(S58)年5月2日にスタートし、ただひたすら40~50代の奥様に向け、情報を発信し続けている番組です。

一見昭和時代にタイムスリップしたような雰囲気は、一度見たらクセになってしまう独特の魅力があります。視聴率は1~3%台で、知らない人は知らないけれど、この番組を知っている人同士なら、例え初対面でも「レディス4」ばなしで盛り上がれてしまうという、不思議な存在です。

番組の核となる存在──高崎一郎の司会力

この番組の魅力は、なんといっても高崎一郎さんの名司会ぶりです。

高崎さんは「オールナイトニッポン」の初代DJであり、テーマ曲の選曲をしたものの、間違ってそのB面の「ビタースイートサンバ」がかかったというエピソードが残されています。今でも「オールナイトニッポン」のテーマ曲は「ビタースイートサンバ」です。当時は「奥様、お嬢様、泣いて喜ぶ高崎一郎」というキャッチフレーズで、今の言葉で表現すると「カリスマDJ」でした。

奥様向け番組の第一人者へ

その後、フジテレビの「東京ホームジョッキー」「リビング2」と、奥様向け情報番組を経て、現在「レディス4」の司会者として活躍し、そのスポンサーである三越の顧問も務められ、番組で紹介する通販商品の開発にまで関わるという徹底ぶりです。

生活の中にあった「レディス4」

テレビ愛知で「レディス4」がスタートしたのは私が中学生の時でした。母親は、高崎一郎さんのことを知らなかったにもかかわらず、スタート時よりこの番組をよく見ています。たぶん4時台の奥様向け番組というのが、他に無かったというのがきっかけだと思います。

そんな母も、今では三越友の会会員となり、三越カタログショッピングも楽しんでおり、すっかり「レディス4」に影響を受けてしまったようです。

いつもそこにあった午後4時

中学・高校時代と、部活の無い日は家に帰ると、そのテレビには必ず高崎一郎さんが映っていました。軽快なトークと軽妙なジョーク、そして江戸っ子べらんめぇ調で斬る世相。

どんな嵐の日も、風の日も、午後4時には必ず高崎一郎さんの姿があったのです。

大学時代東京へ遊びに行ったとき見た秋葉原の電気街のテレビにも、無職で職安から帰ってきたときも、就職して夏休みに行った金沢の旅館のテレビにも、高崎さんの姿はそこにありました。

突然の降板と変化

大病で長い間お休みされたことも何度かありました。昨年も長期間休まれ、その後復帰されましたが、それ以来、ちょっと元気がなくなったような気がします。

最近はよく言葉に詰まるようになり、心配していましたが、とうとうこの2月末で番組を降板されることになりました

日常から消える「当たり前」

午後4時の番組ということで、決して毎日見ていたわけではありません。でも、私の節目節目の記憶には、いつもそこに高崎さんの「レディス4」がありました。

午後4時、ふとテレビをつければ必ずあったものが、無くなる…。

感謝とこれから

あと2ヶ月で番組20周年という、記念日まであと一歩手前というところでの降板ということで、ご本人も悔しいことだと思いますが、ゆっくりと休養され、ゲストとして「レディス4」だけでなく、「徹子の部屋」などに出演していただき、ぜひ過去の栄光を話していただきたいと思います。

「長い間楽しませていただき、ありがとうございました、ゆっくり休養していただいて、必ずお元気になっていただきます。」

後任は柴俊夫さんです。

この記事を書いた人

TOPPY/川合登志和

記事や脚本を書いたり、名古屋のラジオやテレビの構成作家をしたり出演したり、地域のFMラジオで喋ったりディレクターしたりミキサーしたり、講師したり、サイト作ったりしてます。

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