30年前の今日・テレビ愛知は始まりました

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今から30年前、まだ小学校低学年だった私は、夏休みに何気なくテレビをいじっていました。当時のテレビには2つのダイヤルがありました。1つは「1~12」のVHF、もう1つは「13~62」のUHF。UHFで映るのは、「35」「33」「31」の3つ。

とはいえ「31」はNHK総合テレビで、ほとんど「3」と同じ番組を放送していたので、UHFのダイヤルは、「35」と「33」の間でしか動かさないものでした。ところが、何を思ったのか、ダイヤルをぐいっと左に回してみると…

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画面に登場した「25」の文字。それは、9月1日に開局を控えた、テレビ愛知の試験電波でした。親の仕事もテレビやマスメディアとは関係が無かったですし、当時、小学生だった自分には、新しいテレビ局ができるという予備知識は全く無く、この「25」のテストパターンが映し出された衝撃は、今でもはっきりと覚えています。

あれから30年。今日、テレビ愛知は開局30周年を迎えました。30年と1日前まで、名古屋にテレビ東京系列は無かったのです。

30年前の今日、日本の民放テレビ100局目となる、テレビ愛知の開局を知らせる中日新聞の別刷り特集が、愛知県内の家庭には宅配されました。これは広告企画で、さらに地域限定だったため、中日新聞の縮刷版にも収録されていません。

小学生低学年だったにもかかわらず、これを自らの意思でとっておいた、少年の自分を心から褒めてやりたいと思います。

「愛知もテレビ6局時代」そのタイトルは、愛知もようやく東京や大阪と並んだと、そういう意味で書かれていましたが、実は、岐阜県にはこの15年前に岐阜放送テレビが、三重県にはこの14年前に三重テレビが開局しており、愛知は5局なのに、岐阜と三重は6局という、逆転状態だったものが解消された瞬間でもあったのです。

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「茶の間へホットな新風」
「最新鋭誇る機器」
「人影まばら、極限に省力化」

ニューススタジオは無人リモコンカメラであるとか、照明がコンピューター制御であるだのはそれほど違和感は感じないのですが、アナウンサーを置かない、夕方のニュースは主婦がレポートというスタイルは、今見るとかなり斬新です。

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「開局へ一丸 テレビ愛知ルポ」
「女性路線を重視」
「台所情報キメ細かく」

当時のテレビ東京は、今よりも硬派で、男性が見るような番組しかないという判断で、テレビ愛知は女性路線の番組ばかりを作ることで、バランスをとるという方針が書かれています。

「東京、名古屋、大阪のメガトンネットワークが完成したわけだ」メガTONネットワークとは、「メガロポリスTOKYO-OSAKA-NAGOYAネットワーク」を略したもので、その名もそうですし、「完成」とあることから、この頃は、東名阪よりもネットワークを広げるつもりはなかったということがわかります。

その後、テレビせとうち(岡山香川)、テレビ北海道(北海道)ティーエックスエヌ九州(福岡・現TVQ九州放送)が開局し、ネットワーク名も「TXNネットワーク」に改称されています。

さらに、他の名古屋のテレビ局が、愛知、三重、岐阜の東海3県をカバーしていることに対して、テレビ愛知は愛知県だけであることについては、「私たちはあくまで県域放送局の立場を守る」とあり、新聞とは別の広告資料にも、「サービスエリアは愛知県とその周辺、東海3県の総世帯数の約90%にあたり、先発4局と比べても遜色がありません。」とあり、岐阜県や三重県への進出はまったく念頭にないこと、進出するコストパフォーマンスに魅力がないということをあえて表明しています。

あれから30年。テレビ愛知を取り巻く環境も、テレビ愛知自身も大きく変わりましたが、今でも、愛知県民だけのための唯一の民放テレビ局という立ち位置は変わっていません。

このブログでも紹介しましたが、「テレビ愛知がゴールデンに大型ローカル番組新設」開局30周年を記念するかのように、8月31日に自社制作番組2つがスタートしました。ご祝儀もあるかもしれませんが、60分番組の「花田☆温水 おじさんぽ」には、ご覧のスポンサーが12社とCM枠完売。

84分番組の「激論!コロシアム~これでいいのか?ニッポン~」には、読み上げスポンサー2社に、ご覧のスポンサー16社と完売以上の大盛況。この番組自体は、トコトン!1スタの焼き直しという感じですが、平日の帯ではスポンサーが付かなかった一方で土曜のゴールデンではこの結果ということは、これまでの努力が一気に開花!になりそうですね。

もちろん、前番組の土曜スペシャルのセールスとは比べ物にならないほどの売上になっていることと思われます。あとは、視聴率ですね。そういうわけで、30年間テレビ愛知を見続けてきた人生。これでいいのかな自分…、それに意味はあるのかな自分…と思うことも正直あります。

テレビ愛知といえばアニメですが、初めて制作したアニメはこの作品でしたっけ。15年前のことですね。

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コメント

  1. tune01981 より:

    ではもし例えばテレビ愛知が
    岐阜県と三重県にも電波だしてたら
    三重テレビ&ぎふチャンはどんな放送内容になるのか気になりますね。

  2. のーり より:

    もう30年ですか・・・時がたつのは早いですね。
    開局当時、私は中学2年生で、開局前の夏休みに、わざわざテレビ愛知の番組表をもらいに、大須の局舎まで自転車で行ったことが、とても懐かしいです。
    試験放送期間が夏休み中だったこともあり、どんなテレビ局なのかと、毎日ワクワクしながら観ていたような気がします。
    開局当時の思い出として、とても印象に残っているのが、その当時、までスポンサーがほとんどついていなかったのか、スポットCMの代わりに、バンバン流れていた番組宣伝にまぎれて、東海地方では流れることのない関東ローカル(東京ローカル?!)のCMがよく流れていました。
    ハッピを着たオッさんが「2割、3割当たり前~!!」と叫ぶ『ビックカメラ』のCMとか(まさか名古屋に来るとは・・・)、『カメラのさくらや』のCMとか、この地方では絶対に見ることのできないCMが、いくつか普通に流れていました。
    そんな自分も最近歳をとったせいなのか、めちゃイケよりも「土曜スペシャル」を好んで観るようになったなぁ~
    (でも先週からそれも出来なくなったのが、ちょっと残念です。)

  3. >tune01981さま コメントありがとうございます
    残念ながら、その「もし」はあり得ないので、
    想像ができませんね…。
    >のーりさま コメントありがとうございます
    思い出しますね~。そうですね、開局当初は、
    カメラのさくらややビックカメラが流れていました、
    あれはスポンサーがついていなかったからではなくて、
    大阪や愛知へのスポンサー料が捨て銭になってでも、
    ネットセールスの時間の番組にCMを流したいという、
    スポンサーの意向だったと思われます。
    関東のローカルCMが見られるのも、確かに当時魅力の一つでしたね。
    テレビ愛知は開局した月でさえご祝儀があった
    にもかかわらず、売上は予算の9割にしか達せず、
    その後は大幅な予算割れが相次いで、
    自社制作を大幅に見直すなど、
    その門出はかなり厳しいものだったそうです。
    しかしバブルに差し掛かると大きく状況は好転して、
    一気に基幹局としての存在感を高めていくことになります。

  4. アイ・フロッグ より:

    JOCI-(D)TVも、ついに30周年を迎えたのですね。
    現在こそデジタル23chでの放送ですが、アナログの25chで開局した当初は、ちょうど100局目の民放TV局ということで、社会の期待度は少なくとも4倍以上はあったでしょう (単に25X4=100の伝ですが)。まして中京広域圏において、CBCラジオと同じ日の開局ということで、CBCとしては、それまでNHKしかなかった世界に、初の民間放送企業として乗り込んでいった初期の自分自身の姿を、30年前のテレビ愛知に重ね合わせる向きもあったと思われます (ついでに記せば、ぎふチャンラジオとFM AICHIはどちらもクリスマス・イヴの開局)。
    話がそれましたが、テレビ愛知が開局当初流していた関東ローカルのCMを見ていた当時の私の気持ちは、どちらかと言えば少々複雑なものでした。理由はCMの内容自体にあって、例えば「東武特急」なら近所 (この場合、もちろん名古屋近郊) の旅行代理店で乗車券・特急券を買って日光・鬼怒川はたまた会津田島まで乗っていってもいいかなとも思いましたが、「ビックカメラ」あたりだと純然たる関東ローカルで、名古屋圏であのまま流しても無意味としか思っていなかったのです (そのビックカメラが、テレビ愛知の開局20周年の年に名古屋に進出するなど、当時は思いもしなかったのですが)。
    まあ、私自身としてテレビ愛知に対しては、30周年を機にそろそろ開局時の原点に立ち返ることも必要なのではないかと思っています。
    なお全くの余談ながら、ビックカメラの創業の地はヤマダ電機と同じく群馬県高崎市で、1978 (昭和53) 年の創業であると「ガイアの夜明け」で取り上げられていました。すなわち、今年2013年はビックカメラにとって35周年ということになります。

  5. >アイ・フロッグさま コメントありがとうございます
    東武に関しては、TXN系列が完成したあとも、
    北海道から福岡までのネットセールスでCMを流していましたね。
    実際、その枠で流れていた「東武ワールドスクウェア」のCMを
    見たことでその存在を知って私は行きましたので、
    そういう効果はあったでしょうね。
    テレビ愛知の原点が、何を指すかはわかりませんが、
    開局時は、甘い予算組み、全く達成できない数字、
    その煽りをくらって軒並み自社制作番組終了という記録が
    残っていますので、それが原点…になっちゃいますかね。

  6. yasu より:

    よそがやらないことをやることが好きなテレビ東京の系列局
    のテレビ愛知ができて30年ですね。
     私は割にスポーツは何でも見るという感じですが、
    今日のオーバー40のテニスファンの多くが見ていたのが『SIAワールドビッグテニス』でした。
     非英語圏の連中が英語でインタビューに答えている
    ところを見て英語を話せないと世界には行けないという
    ことをプレイする上でもメディア対応でも必要なんだと
    理解できましたね。
     底辺校と言われるレベルの低い高校に通っていましたが
    英語を勉強して仕事に生かせるようになったり、友人が
    増えたり、テニスの大会に行って、プレイヤーやコーチと
    仲良く慣れたのはテレビ愛知開局であの番組が見られた
    お陰ですね。そして、プレイヤーやコーチと仲良くなって
    ビックカメラに行った時にテレビ東京のことを思い浮かべて
    いました。
     『ワールドビッグテニス』の解説をしていた元プレイヤー
    で日本テニス協会の理事の渡辺さんと東山公園テニスセンターでのアンダー18の国際大会のジャパンオープンジュニア
    でお会いして、あの番組があったから今の私の言語力や
    キャリアがあると話したら大変喜んでくれました。
     テレビ東京、テレビ愛知ならではの番組によって
    人生が変わった人がどれだけいるかわかりませんが
    私の人生が大きく変わったのは確かです。
    オーバー40のサッカーファンは『三菱ダイヤモンドサッカー』
    で勉強したり楽しめたり出来た人は多い気がします。
     

  7. >yasuさま コメントありがとうございます。
    確かに、テレビ東京系列では、
    ダイヤモンドサッカーやワールドビッグテニスなど、
    他がまだ手がけていないスポーツのソフト化に積極的に
    取り組んできましたし、今もそのポリシーは続いていますね。
    テレビ愛知はローカルでも、開局直後の11月に、
    「ザ・ウィメンズ・テニス・クラシックス・トーナメント」を、
    名古屋グリーンテニスクラブから衛星生中継で、
    メガTONネットにて放送してるんですよね。
    また、1995年9月には「ティーバ杯レディースオープン」という
    国際女子テニス公式戦も開催していますし、
    テレビ愛知とテニスは縁が深いですね。
    番組がきっかけで、語学力、
    そして今のお仕事に繋がっているというのは、
    本当にすばらしいことですね!

  8. 坪の海苔夫 より:

    テレビ愛知の開局、懐かしいですね~。

    私は83年の4月にテレビ過疎地域の宮崎から名古屋に引っ越してきたのですが、民放4局+三重テレビが見れるだけでも、感動だったのにテレ東まで見れるとなって、もう興奮しました。

    おはようスタジオが見れたのが、凄く嬉しかったです······

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