オリンピックを逃した名古屋から一言

写真
写真:名古屋オリンピックスタジアム建設予定地だった平和公園

いよいよ、2020年のオリンピック開催地が決まろうとしていますけど、こんな夜に思い出してしまうのはやっぱり、32年前のあの日、1988年のオリンピック開催地が決まる深夜ですよね。まさか、

[広告]

まさか、あのような結果になるとは…。以前にもこのサイトでは、おいでよ!名古屋みゃーみゃー通信のコーナーで、

世界の中心都市としての義務
おいでよ!名古屋みゃーみゃー通信第2回 私は今でも鮮明に憶えているのですが、小学校に入学し最初の体育の授業で先生からこんな話がありました。「今度、名古屋でオ...

という記事に書きましたが、私が幼稚園に通っていた頃、先生が「今度、名古屋でオリンピックが開催されます。みんなも選手になれるように体を鍛えましょう」と、言ってたのを覚えてます。

もう名古屋では既に、名古屋オリンピックは決定事項かのように扱われていたのです。当時「韓国で開催するとボイコットする国が多数出てしまう」という下馬評、名古屋とソウルの一騎打ち、相手は発展途上国のなかの途上国、「もう名古屋オリンピックは完全確実」という空気だったのです。

しかし、結果はダブルスコアで負け。オリンピック開催地決定を伝えるテレビの特別番組は、負けの場合を全く想定しておらず、名古屋のテレビ局は早々に特番を切り上げて、放送を終了してしまったのだそうです。その後、じゃあ日本初のコアラを名古屋にと、オーストラリアとの交渉をするのですが、政治的な背景もあって難航し、結局、東京や鹿児島と同時にコアラはやってくることとなり、「オリンピックの二の舞か!」と市議会で野次が飛ぶことに。

さらに、オリンピックがダメなら万博をと、誘致し、こちらは誘致には成功しますが、自然がテーマなのに自然を壊して会場作るだなんてと、公園を改造しての万博となりました。

名古屋オリンピックについて、直接的な因果関係はわからないものの、誘致した当時の県知事が、行われるはずだった年に自殺という形で幕引きをしていることもあってか、名古屋にとっては黒歴史になっています。

名古屋オリンピックが開催されるはずだった年、無念を晴らすかのように中日ドラゴンズが優勝するのですが、昭和天皇のご容態が良くなく、世の中自粛ムードの時期でビールかけ中止。そして名古屋オリンピック残念事業とも言われた、世界デザイン博覧会がその翌年に開催され、「デザイン都市名古屋」は今のあいちトリエンナーレに繋がります。

果たして、今回の東京はどうなるのか。名古屋としてただ一言、大きな声ではっきり断言できることは、「下馬評は全くアテにならない!」

コメントはこちらから

Loading Facebook Comments ...

コメント

タイトルとURLをコピーしました