地域の商業施設イベントからのラジオ生放送は何をもたらすことができるか

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アピタ美濃加茂店(岐阜・美濃加茂市)

地域の放送局が存在する意味

 わが国の「放送」には、様々な単位があります。東京のキー局を中心とした全国ネットワーク放送や、放送衛星(BS)や通信衛星(CS)を使用した全国放送、東海地方や関東地方といった広域放送・ブロックネット、そして、都道府県単位による放送です。

 かつてはこの、都道府県単位による放送が最小単位となっていましたが、それよりもさらに狭い地域である、市町村を単位としたラジオ放送があります。それがコミュニティFM放送です。

 昨今、テレビはまだしも、ラジオを取り巻く環境が厳しいという話題はあちこちで取り上げられており、一般的にも「ラジオは厳しい」というイメージが定着しつつあります。

 そんな状況のなかで、この市町村を単位としたコミュニティFM放送は、ラジオです。全国ネットや県域のラジオ局が厳しいといわれるのであれば、さらに小規模なコミュニティFM放送はもっと厳しいはず。そもそも、そんな厳しい環境のなかで、何を「大義」として存在しているのでしょうか。

 岐阜県の中濃地域の、ある街で行われたイベント生中継を例に、考えてみます。

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「災害」とは言うけれど

 よく言われるのは、こういった言葉です。

「ラジオは災害の時に頼りになる」
「災害時こそラジオ」
「コミュニティFM放送を災害時のために開局します」

 もちろん。何も間違っていませんし、実際に、災害時にラジオというメディアはネットよりもテレビよりも、大きなの威力を発揮します。

 しかし、わが国の放送局は基本的に「営利企業」です。お金を稼げなければ、存在し続けることはできません。コミュニティFM局のなかには、NPO法人の運営のところもありますが、NPOと言っても運営費用は捻出できなければ、存在し続けることはできません。

 災害時に役に立つためには、平時に運営費用を賄える広告収入を得なければならないのです。

 それができず、破綻したコミュニティFM局はこれまでにもいくつもありますし、コミュニティFM局だけでなく、県域の放送局でも破綻した事例はあります。

 つまり、大義のひとつが「災害」であっても、災害だけが大義では、存在し続けることができないのです。

美濃加茂市のショッピングセンターでのイベント

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 7月25日(土)、岐阜県の中濃地域をエリアとするコミュニティFM局「FMらら」が、美濃加茂市にあるアピタ美濃加茂店から3時間半の生放送を行いました。

 アピタ美濃加茂店では、7月24日(金)から26日(日)にかけて、地域の人とともに作り上げる夏祭りが行われており、この夏祭りは、アピタを運営するユニーのなかでも珍しい存在で、今年で14回目を迎えるものです。

 一方のFMららは、この7月24日(金)で開局3周年を迎えたまだ新しい放送局ですが、開局以来、このアピタ美濃加茂店のイベントには出張し、中継車を使用しての公開生放送を行っています。

 美濃加茂市は、岐阜県の美濃地域の中央部にあり、県庁所在地の岐阜市からも遠く、一方で名古屋からの新住民も多い地域で、岐阜県でありながらも岐阜県という色が薄く、実際にかつて豪雨災害時には、民放だけでなく、NHKでさえも情報があまり流れなかったという地域で、その穴を埋めるために開設されたのが「FMらら」という側面もあります。

 美濃加茂市周辺は、けっして過疎でも田舎でもないのですが、このように、都市でありながらも、大都市と大都市の間に埋もれた窪地のような存在になってしまっているのです。イオンも進出していない地域と言えば、感覚でわかっていただけますでしょうか。

目の届かない地域だからこそ

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 つまり、県域放送局のある県庁所在地からも遠く、県の顔となるような位置づけの都市でもなく、観光地として知名度が抜群というわけでもない、そんな街にあるコミュニティFM放送局としての大義。

 それが、この生放送から見えてくるのではないでしょうか。

・前日はほとんど売れなかったものが、ラジオで紹介したら飛ぶように売れた
・「ラジオを聞いたよ」と言えば○○円というセールをやったら大反響だった
・個性ある従業員の方の名前を覚えてしまったというリスナーの声

 開局当初は、放送局の存在をPRすることが精一杯だった公開放送も、回を重ねて3年という月日が流れ、このような状況へと変化したのです。まさに、石の上にも3年でしょうか。

 それまで、放送局が身近に存在しない地域だったからこそ、地元に放送局が誕生したことでの親しみと発見、地域の企業による活用。

「放送なんて、どこか遠くでやってるものだけじゃなかったんだ!」
「放送ってこうやってやってるのね!」

 放送局が身近にあることのメリットを多くの人に感じてもらい、「放送」というものに親しみをもってもらう、それこそがFMららの大義であると、この事例からわかります。

地域ごとに違う「事情」

 しかし、これは岐阜県の中濃という地域だったからこその大義であり、特に、県庁所在地にあるコミュニティFM局は、同じ自治体の中に県域の放送局があるわけですから、「放送局が身近に存在しない」という感覚はありませんし、県の顔となるような位置づけの都市や、観光地として知名度が抜群にある都市では、それぞれ、コミュニティFM局の大義は違ってくるでしょう。

 そう考えると、地域によって事情は全く異なり、「コミュニティFM局はこうすれば成功する」という特効薬は無いように感じます。

 ただ一ついえることは、ラジオだけにこだわると、これからは難しいのだろうなということ。

 FMららの場合は、ラジオ局でありながらも、独自のアプリを共同開発し、アプリでラジオ放送が聞けるだけでなく、イベント情報や災害情報をスマホにプッシュ通知で送るという形を採用しています。

「ラジオを聞いてもらえば何が起こっているのかわかる」ではなく、「今こんなことが起きてるからラジオを聞いて!」とアプリでスマホに通知する。放送以外の手段で放送を告知する。これはもう、ラジオありきのアプリなのか、アプリのラジオなのか…。どちらが先なのかもわからないくらいの変革です。

 ラジオ放送だけでなく、ラジオを活用した次の段階に一段上がっていると言っても良いでしょう。FMららの場合はアプリですが、これがTwitterだったりfacebookだったりと、SNSでの活用を行っている放送局も既にたくさんあります。

 ここへ来て、大手放送局もインターネットでもラジオが聞ける「radiko」の浸透によって、ラジオの聴取率が底を打って上昇に転じたという話も出てきています。確実にラジオは今、次の形へと変貌しつつあります。

 その環境下で「災害時はわかったとして、どうして普段からこの街にはラジオ局があるの?」が、コミュニティFM局の生き残る道であり、存在意義であり、それは一辺倒なものではなく、その街の周辺における位置づけによって全く異なるのでしょう。

ラジオマニア2015 (三才ムックvol.810)

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