10月25日付朝刊(朝日新聞名古屋本社版)
新聞にコメントが載りました
それまで信用金庫職員、メーカー営業といったまったく関係の無い仕事をやっていたにもかかわらず、無謀にも「物書きになって食べたい!」と、10年ちょっと前に思いたって以来、周囲の方々に支えられて、本を出させていただいたり、ラジオ・テレビに出させていただいたりとしてきましたが…。
このたび、朝日新聞に取材をしていただきまして、10月25日(日)の朝日新聞名古屋本社版の朝刊にコメントが掲載されました。
検証・名古屋の常識のコーナーで
朝日新聞の名古屋本社版には、第2・4日曜日に「asahi+C(朝日プラス・シー)」とい日曜版が折り込まれます。これは「東海とつながる」がコンセプトで、名古屋で最も売れている全国紙である朝日新聞の視点で、この地方を特にクローズアップした紙面構成となっているものです。
そのなかにある「検証・名古屋の常識」は、名古屋の「常識」と言われているあらゆる事柄について取り上げ、その実情を紹介しているのですが、やはり全国紙ならではの「外からの視点」が大切にされています。
今回は漫画喫茶特集でした
今回の検証・名古屋の常識は「漫画喫茶は名古屋生まれ」というテーマで、今から40年前に名古屋で生まれたといわれる漫画喫茶のルーツと現状を取り上げたものでした。
偶然にも、私はその名古屋の「元祖」といわれる漫画喫茶に幼少期に父親に連れられていったことがあり、その当時のことをお話できたことでコメントを掲載していただけました。
私は育ったのは瀬戸市ですが、生まれは名古屋市名東区、親戚関係は当時も今もほとんどが名古屋市内在住ということで、自分自身の記憶もありますし、親戚筋にリサーチすると当時のリアルな名古屋が浮かび上がるので、その環境にも感謝感謝です。
10年ほど前までは「名古屋名物」だった漫画喫茶、一方で漫画喫茶がまだ名古屋名物とも市民権も得ていなかった頃の状況をお話できました。当時はまだ自分も小学生でしたけれども。
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30代のうちに達成できました
そもそもがなぜ物書きになろうと思ったのかといいますと、幼少期から「テレビ・ラジオに出る人」になりたいという思いがあったのですが、アナウンサーになれなかったという経緯がまずあります。
そこで、アナウンサーではなくテレビやラジオに出るにはどうしたらいいか?そこで自分の出した答えが「何かの専門家になって呼ばれる立場になればいいじゃない」でした。その結論が「物書き」でした。
コミュニティFMラジオでパーソナリティを、AMラジオ局で構成作家を、本も出させていただいて、テレビ朝日系全国ネット番組にも読んでいただけました。そして今回、専門家として新聞にも名を残すことができました。ギリギリ30代のうちにすべて叶いました。
でもまだまだです。迎える40代はさらに次のステップに向けて頑張ります。
あらためまして、共著本です。よろしくお願いいたします。
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