セリーヌ・ディオンさんを起用した「私、セリーヌ・エディオン」という大胆なテレビCMには驚かされましたが、名古屋を代表する地域の家電量販店だった「エイデン」は、デオデオ、ミドリ、イシマルと一緒になり、
「エディオン」となりました。
と言いましても、既に会社は前からひとつになっており、エディオンという会社が、エイデン、デオデオ、ミドリ、イシマルを運営しているというそういう形になっていました。
それがこの10月1日、ストアブランドを統一し、店名も「エディオン」になったというわけです。エイデン店舗は全て、9月中旬に看板をエディオンに架け替え、新たな店名になったわけですが、10月になった今も、エイデンの看板を掲げ続けているのが、エイデン瀬戸西店です。
しかしもう、営業はしていません。エイデン瀬戸西店は、エディオンの看板になることなく、エイデンの看板のまま、そのエイデン最後の日である9月30日、閉店しました。
これが、実に象徴的に感じるのです。
なぜなら、あれは今から15年ほど前のことでしょうか。こんな話をエイデンの人から聞いたからです。当時エイデンは「中部地区をネットする」をキャッチフレーズとし、まだ、他地域の家電量販店と提携しておらず、名古屋のチェーンとして確固たる地位を確立することに力を入れていました。
三河を地盤とする「サカキヤホームセンター」を吸収し、家電量販店とホームセンターの融合に、新たな道を見つけようと「エイデンサカキヤ」という社名を掲げ「ホームエキスポ」という業態の未来に賭けていました。
その頃、エイデンの方が仰っていたのが…。「この地方の10万人都市全てに店舗を出すのがエイデンの昔からの目標で、残るは愛知県瀬戸市だけなのです」
そう、この時点で瀬戸市以外の人口10万人以上の都市には、エイデンは全て出店済。あとは瀬戸市を残すのみとなっていたのです。しかしです…。
実際にエイデンが瀬戸市に出店を果たすには、なんとそれから10年の月日を要します。エイデン瀬戸西店が開店したのは、2006(H18)年10月。難産であったことが伺えます。
エイデンが昔から目標とし、こだわっていた、「人口10万人都市すべてに出店」が実現した時には、時代は既に21世紀、デオデオとエディオングループを形成し、すっかりエイデンを取り巻く環境が変わってからでした。
それから6年。エイデンは瀬戸市から消えることとなりました。
かつての「中部地区をネットする・エイデン」のこだわりであった「瀬戸市出店」。
その瀬戸市の店舗が、エイデンの名前が消える日と時を同じくして閉店。しかも最後の最後まで、エイデンの看板を掲げながら…。
これこそ、中部地区をネットしたエイデンの最後の象徴といいますか。瀬戸市から消えることが、「エイデン」の名前が消えるのと同じくらい大きなことに感じます。
10月末には、近隣にエディオン尾張旭店が開店します。それは、かつて家電のダイイチ尾張旭店があったあたりにです。家電のダイイチ…それはのちのデオデオ…エディオンです。
瀬戸市民からすると、まさに心の底から「さようならエイデン」となります。ちなみに、エイデン瀬戸西店の跡地には、ニトリ瀬戸店が入り、11月下旬にオープン予定です。
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コメント
近所の東海通店ももちろん、エディオンになりましたが、やっぱり自分もエイデンという名にすっかりなじんでいたのでまだエディオンかあ~っという気持ちにはなれてませんね~。(笑)
それと同時に、今の時代は合併や全国統一で地方のブランドがどんどん減っていくなあという事も、エディオンの統一で改めて感じました。
>名古屋の地下鉄男さま コメントありがとうございます
東海銀行、松坂屋、そしてエイデンと、
かつては名古屋を代表する企業だったものが、
ガリバーを目指して名古屋を旅立っていきますね。
このなかで松坂屋だけは、
実態は全国区でありながらも、看板はローカルを保っていますね。
エイデンもこのスタイルで行くかと思いきや、
結局は、東海銀行と同じ道を歩むことになりましたね。
エディオンがこれからも名古屋で同様のブランド力を
持ち続けるか、それともポストエイデンをどこかが…
いや…さすがに家電量販店でローカルってのは、
時代にマッチしないのかもしれませんね。
エイデン消滅までのブログを拝見しました。
エイデンとデオデオの関係について、ミドリを交え、的確かつ明解に記された点で無二と感じました。
ありがとうございます。
私には、当時のエイデン上層部の判断が正しかったとは、とても思えません。
エディオンという名前が出た頃、デオデオの裏の顔には気がついていました。
旧デオデオには「eはeビジネスのe」などという声もあり、エイデンを小馬鹿にしていましたから。
エイデン創業家と一握りの者たちはその時、リストラという名目で現場を…。
趣味と思い込みで浪費した若き創業家の顔がまだ、瞼に残っています。
おかげさまで、消えていった者も、未だ踏みとどまる者も、少しは救われると思います。
特に、お客様と毎日顔を合わせる、合わせていた店舗スタッフたちが。
重ねて申し上げます。ありがとうございました。