写真:オリエンタル中村百貨店のカンガルー像
【日本経済新聞】三越伊勢丹、名古屋三越を設立へ 地域分社化で効率化
タイトルを見て、「え?名古屋三越ってずっとあるじゃん」と思われるかもしれません。違うのです。今、栄にあるのは「三越・名古屋栄店」。かつてあそこにあったのは「名古屋三越・栄本店」。
この日本経済新聞の報道によりますと、デパートの不振がずっと続いている中で、三越は各地方都市を地域会社として独立させ、「損益の把握」「意思決定の迅速化」を目指すとのことですが、テレビ東京のニュースによると、「地域ごとに給与体系を変える」ことで、コスト削減が大きな目的でもあるようです。
今回、名古屋だけでなく、他の地域も分社化されるわけですが、特に名古屋は「名古屋三越復活」となることが、どれほどの意味を持っているのか、というお話を。
現在の「株式会社三越」は、2003(H15)年に、「三越本体」「名古屋三越」「千葉三越」「福岡三越」「鹿児島三越」などが新設合併して誕生しているのですが、このなかで「本店」を名乗っていたのは、本体の「日本橋本店」と、名古屋三越の「栄本店」だけです。
別会社だった名古屋三越に、さらに支店(星ヶ丘)もあったという事情もあるのでしょうね。新設合併後も「名古屋三越栄本店」という名称は残されていたのですが、ホームページ表記やCM、看板の表記などを、少しずつ変更し、自尊心の強い名古屋っ子を刺激しないようにと配慮したのかどうかわかりませんが、本当に何年という時間をかけてじわじわと、「名古屋三越栄本店」を「三越名古屋栄店」へと、ようやくここ1、2年で移行しきったところでした。
もともと名古屋三越は、三越の仮面を被った別の百貨店だったという経緯があります。それが「名古屋三越・栄本店」と名乗っていた理由です。
名古屋三越が設立されたのは1954(S29)年、当時は「オリエンタル中村百貨店」と名乗っていました。1974(S49)年に星ヶ丘店をオープンすると、その翌年には三越傘下に、そして1980(S55)年に、オリエンタル中村百貨店は名古屋三越に名称を変更するのです。
しかし時代の流れで、効率化を求められ、名古屋三越は2003(H15)年に三越本体と統合され、本店も栄から無くなった…。ところがこの秋に「名古屋三越」が復活するわけです。なんと複雑な経緯なのでしょう。この件に関して私は、今から4年前にこんな記事を書いているのですが、
まあ結局、名古屋っ子は名古屋に「本店」のある百貨店が好き、という結論ということになる…というのはいささか強引な気もしますが…。名古屋三越が分社化される際に、「名古屋三越栄本店」という表記も復活するかどうかに、注目したいと思います。
コメント
こんにちは。
デパートの店舗を分社化する手段は珍しくは無いのですが、あるデパートが分社化した店舗を統合し一法人化にするのもあれば同じ頃に店舗や地域ごとに分社化するのもあったりと、どちらか正解かは不明になっている気がします。分社化だと「そごう」が良い例でして、分社化後に別の店舗に異動(転籍扱い。退職金の算定や福利厚生は継続)となった社員が数ヵ月後、異動先の店舗会社が倒産し解雇になった話をニュースなどで取り上げられていました。逆に売上低下による分社化された店舗の社員が危機意識を持ち勤労意欲の向上により経営が立ち直った話もあります(確か髙島屋だったような)。
栄の店舗を見たのですが、名古屋三越は複雑な感じがしました。店舗は「ラシック」とかあるので東京・日本橋本店と比べてカジュアル性がありますが(店舗自体が日本橋本店と異なるイメージでした。)2003年以前の「株式会社名古屋三越」の頃は出資比率が「株式会社三越」、三越のビルメンテナンス会社、名古屋における三越のビルメンテナンス会社などで大半以上を占め、残りがオリエンタル中村百貨店関係となっていました。同時期の「株式会社千葉三越」「株式会社福岡三越」は90%位が「株式会社三越」が株式を保有していたので「どうして名古屋だけ」って感じでした。
>たー坊さま こんにちは
そうですね…。特に今回の三越の場合は、
6年前に全てを統合したのを、再び分社化するわけで、
方針がころころ変わっていると見るか、
わざといったん統合して意識を変革した上で、
本部が操縦しやすい分社化を図るという壮大な計画が、
最初からあったのか…。どっちなのかはわかりませんね。
名古屋三越は結局のところ、ずっと本体の三越とは、
一線を画していたんですよね。
そのため、三越のテレビ番組「レディス4」も、
愛知県での放送は見送られていた時期がありましたしね。