今年(2014年)の中京テレビの24時間テレビに感じた「らしさ」はどっち?

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栄・もちの木広場

しかも頑張りすぎ

毎年、夏の終わりを感じさせてくれる、日本テレビ系列が総力を挙げて放送する「24時間テレビ」

もちろん、番組の主旨そのものはチャリティーですが、いかにそのチャリティーの心を一人でも多くの人に広めるか、その手段として、20年ちょっと前からバラエティ色を強め、イベントを大きく展開するとともに、

系列各局はその存在感を地域の人に広くアピールする、そんな機会となっています。

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名古屋では中京テレビが、その日本テレビ系列の一翼として、この24時間テレビに力を入れているのですが、

24時間テレビがスタートしたのが37年前。その頃の中京テレビといえば、

事実上、テレビ朝日とテレビ東京のクロスネットから、華々しく日本テレビ系列への衣替えを行ったものの、名古屋初の「UHF」テレビ局ということで、

アンテナを建てないと見られない、対応テレビやコンバーターを買わないと見られないというマイナーな存在であった頃。

かつては名古屋テレビで放送されていた、日本テレビのNNN系ニュース番組では冒頭に「U中京テレビ」というテロップを挿入したり、無料受信相談電話を開設、新聞のテレビ欄にそのお知らせ広告を出したりと、普及・存在感のアピールに努めていました。

当時の名古屋の人は、それまで名古屋テレビで放送されていたので、日本テレビの存在は知っていたものの、それが全て「U」に移ったことが周知しきれていない、まだまだそんな時代に24時間テレビはスタートしたのです。

しかも中京テレビはまだ、開局して10年もたっていない新設のさらにUHF局、だからこそ、この24時間テレビへの注力はハンパなものではありませんでした。「中京テレビ」という存在を名古屋の人に多く知らしめる機会でもあり、チャリティーによって地域貢献も果たしたい、そんな思いを強く感じさせるものとなっていました。

ですので当初は、都会だけでなく、名古屋周辺の「え?そんなところにも?」という場所にも、多くの芸能人がやってきて、募金活動が行われました。幼い頃、自分が住んでいた団地の商店街が会場になったときのことを今でも思い出しますし、そのときから、子どもながらに、中京テレビがとても身近な存在に感じられるようになったことを覚えています。

それから数十年の時が流れ。

今も24時間テレビは続いてるんだなあ~と思ってはいましたが、今年、中京テレビは開局45周年、そのかつてのポリシーが帰ってきたかのような構成になっていたのです。

土曜日は、中京テレビだけ独自で朝10時30分に24時間テレビをスタート、日曜日も、深夜の1時20分から2時間の生放送で、独自のローカルグランドフィナーレともいえる番組を放送するなど、中京テレビの「24時間テレビ」は「33時間半テレビ」となっていました。

また、これは例年からそうですが、ステージも栄と金山の名古屋中心部だけでなく、港区、豊田市、稲沢市、常滑市、豊橋市、本巣市、東員町と、各地で繰り広げられ、今年は規模として過去最大となりました。

さらに「ラジオDEごめん」「金曜日の王様」の嘉門達夫さんに、14年ぶりの歌声の披露となった、かつての「5時SATマガジン」の顔、INGRY’Sも復活ライブと、まさに「うわあ、中京テレビだ~」という空気感。

たまりませんでしたね。

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最近は、日曜に月1で新企画に挑戦するバラエティー枠「オバケSUN」を設定したり、45周年にあわせて、バラついていたロゴ表記を、かつての「U」時代の「中京テレビ」に統一したり、金曜の朝ワイドのタイトルも「4U」と、かつての呼び名でもありアイデンティティでもある「U」を番組名に入れるなど、往年の中京テレビらしさが帰ってきた感じがあったので、

それを確信することのできた24時間テレビでした。

小さい頃「ユー」と呼んでいた中京テレビは、他の老舗テレビ局と違って破天荒で、見ているこっちがドキドキするようなことがあったり、全国区タレントを使って名古屋から自前で全国に通用するコンテンツを作るぞ!という気概を感じたものです。その最たるものが「お笑いマンガ道場」でした。

いよいよ、2016年、新社屋が建てられ、開局からこれまでの「山の上にある中京テレビ」から、「名駅の中京テレビ」に変わりますが、

あえてその時期に、原点回帰しているのは…どちらなんでしょうね。

そのDNAを新社屋にももって行くのか、それとも八事への置き土産なのか。

気になるところです。

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