IDOの携帯電話
KADOKAWA・DWANGOが新社名を発表
KADOKAWAとドワンゴの経営統合によって誕生した「KADOKAWA・DWANGO」が、10月1日付で新しい社名に変更すると発表しました。
新社名は…
KADOKAWAの「KA」
ドワンゴの「ド」
KADOKAWAの2つ目の「KA」
ドワンゴの「ワ」を組み合わせたもので、
「カドカワ株式会社」になるというものです。それって…。で、思い出したのが、KDDIが発足したときのコマーシャルです。
KDD+DDI+IDO=?
2000(H12)年10月、KDD(国際電信電話)とDDI(第二電電)、IDO(日本移動通信)の3社が合併し、「株式会社ディーディーアイ(KDDI)」が誕生しました。その際にあったCMが…。
代理店「実はKDDIの広告にご出演いただけないかな、と思いまして」
俳 優「KDDI?」
代理店「はい、10月1日から、KDDとDDIとIDOの3社がひとつになるんです」
俳 優「KDDとDDIでKDDI」
代理店「はい」
俳 優「IDOはどこにあるの?」
代理店「あ、んーとですね。それは、IDOはそのなかの、Dで…えー、あらわしております…」
俳 優「少し考えます」(ガチャ)
まさに今回、「KADOKAWAとドワンゴでカドカワ」「ドワンゴはどこにあるの?」「ドワンゴは…そのなかのドとワで…あらわしております」状態なんですよね。
ただ、IDOの場合はある程度納得できる部分がありまして、KDDとDDIが全国区企業だったのに対して、IDO(日本移動通信)は、関東甲信と東海のエリア限定の会社だったんですよね。
まさに、現在のInterFM状態といいますか、端的に言うと、東京と名古屋だけがIDOだった。つまりは、名古屋を首都圏扱いしてくれた会社ということになります。
今後、リニア新幹線によって、名古屋の首都圏化が進むと言われていますが、まさにIDOは、その先駆けだったと言えるわけです。
そんな「首都圏と一緒なのは名古屋だけ」というプレミアム感に、当時、学生だった私が食いつかないわけもなく、私が初めて手にした携帯電話は「IDO」でした。
話はそれますが最後までお付き合いください…
さて、IDOの携帯電話を使っていた学生時代の私ですが、それまでのアルバイト先が閉店することになりまして、新たに、豊田市の山奥にある温泉施設でアルバイトをすることにしました。なんとそこは、ドコモの電波がかすかに届くだけ…ということで、それをきっかけにドコモに携帯電話を乗り換えます。
しばらくすると、その山奥に、当時後発だった携帯電話会社、東海デジタルホンの基地局が建設され、建物内でもデジホンだけは使えるという状態になり、私はすぐさま、ドコモからデジホンへと乗り換えます。
なぜ、後発のデジホンがそんな山奥に基地局を立てたのかといいますと、その温泉施設はヘラルドグループでして、どうも、ヘラルドコーポレーションと東海デジタルホンの間に関係があったようなのですね。
まあ、ヘラルドもデジホンも、どちらの会社も今は無くなっているので、確かめようもありませんが。
東海デジタルホンはその後、J-PHONE東海となり、Vodafoneを経て、現在はソフトバンクになっています。ヘラルドコーポレーションは民事再生法の適用を申請し、事実上破綻しました。
ヘラルドの名が残った映画会社の名を消したのは…
さて、そのヘラルドグループ破綻後も、ヘラルドの名を残した会社がありました。グループ外企業であったもののヘラルドの関係会社で、映画の制作・配給を行っていた「日本ヘラルド映画」です。この会社は、ヘラルドコーポレーションとの関係が薄く、破綻には巻き込まれずに存続されます。
ヘラルドコーポレーションから完全に離れると、日本ヘラルド映画は、角川書店と資本業務提携を結びます。
その後、角川の傘下に完全に入り、「株式会社角川ヘラルド・ピクチャーズ」に社名を変更し、さらに2006(H18)年、角川映画との統合によって「角川ヘラルド映画」という名前になります。もう、お察しですよね。ヘラルドの名は、このときまでは残るのですが…。
しれっと翌年、「角川映画」に社名変更。ヘラルドの名は消滅するのです。
ドワンゴの名をしれっと消したというカドカワのニュースで思い出した、IDOから、デジタルホン、ヘラルドへと繋がった私の思い出話。そのヘラルドも、結局は角川によってその名が消されていた、というわけです。
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