松坂屋ストアの歴史がいよいよ本当に終わる

140320

ピーコックストア菱野店(愛知・瀬戸市)

高度経済成長の象徴が40年以上の時を経て閉店

長年、名古屋の流通で最もブランド力のあった「松坂屋」そのスーパー業態であった「松坂屋ストア」は、名古屋において他のスーパーとは少し違う高級感が漂い、高度経済成長期には、山の手に住む名古屋の奥様のステータスとして、住宅団地に松坂屋ストアがあることが、奥様になられる方への訴求効果になるほどの力がありました。ところが…。

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その経緯は以前も取り上げましたが、松坂屋ストアは、大丸との統合を経て、イオングループへと売却されました。

大丸は守ってくれた「松坂屋ストア」の店名が売却によって消滅
★とうとう消えた「松坂屋ストア」★大丸はその名を守ってくれていた?のに...★最後通牒を突きつけたのはあの大手流通だった 名古屋で圧倒的なブランド力を持ち「...

それが昨年4月のことでした。大丸との統合によって、松坂屋ストアはピーコックストアとなり、そのピーコックストアがイオンマーケットに。イオンマーケットの運営するピーコックストアとなって、この春で1年。

大丸ピーコックと、松坂屋ストアが統合され、イオンマーケットへと売却されたピーコックストアは、首都圏に46店舗、関西圏に32店舗ありますが、愛知県にはわずか8店舗、そのわずか8店舗のために、この中部地区への商品配送・管理体制を敷き続けるのは、とても非効率であることは想像に難くないです。

松坂屋発祥の地だから、松坂屋のブランド力があるから、だから松坂屋ストアはこの8店舗の運営を続けられたのでしょうけど、イオンにそんな思い入れがあるわけがありません。この8店舗について、イオンマーケットはイオングループ内での譲渡を発表しました。その譲渡先がマックスバリュ中部です。

愛知県内のピーコックストア8店舗は、マックスバリュ中部のマックスバリュとして営業を続ける…かと思いきや。そのうちの2店舗、千種区の月見ヶ丘店と、瀬戸市の菱野店については、譲渡対象とならず、この3月末をもって閉店することとなりました。

月見ヶ丘店は1970(S45)年10月の開店から43年6ヶ月、菱野店は1972(S47)年11月の開店から41年5ヶ月をもって、その歴史に幕をおろすこととなります。

この年月を見ても、いかに松坂屋ストアが、名古屋市内外の人にとって、大きな存在であり続けたかがわかります。そのうち菱野店は、瀬戸市にある唯一の大型住宅団地、菱野団地の中核スーパーとして存在し続け、かつての計画では、現在は愛知環状鉄道として運行している、国鉄岡多線がこの菱野団地を貫く形で走り、松坂屋ストア菱野店は、国鉄菱野駅の駅前スーパーとなるはずでした。

結果として菱野団地は、瀬戸市に人口増加という効果をもたらしたものの、市のゼニ勘定としては「?」な中途半端な結果に、国鉄岡多線も菱野団地は通らず、その南側を走る計画に変更され、国鉄としての開通は果たせず、第3セクターでの運行となりました。

まさにこの松坂屋ストア菱野店は、瀬戸市の高度経済成長を象徴するお店でありました。計画通りの発展とはなりませんでしたが、41年半近くの間、その瀬戸市が夢見た未来のなかで、実現した一つの成果として存在し続けました。

昨今、東京の多摩・高島平、大阪の千里、そして愛知の高蔵寺など、あの当時に整備された住宅団地が、高齢化と老朽化によって、寂れていることが問題になっています。この菱野団地はまだ、そのなかでもどちらかといえば衰退していない方だったのですが、ピーコックストア、いや、松坂屋ストア菱野店の閉店は、そのトリガーになりそうな気がします。

今のところ、後に何かが入るという話は聞こえてきません。閉店を前に、既にお店の中はガラーンとした状態になっていました。店名が消え、一部店舗が閉店し、マックスバリュ中部に譲渡。いよいよこの春、ピーコックというエピローグを経て、松坂屋ストアの歴史は本当に最後の幕をおろすこととなります。

岡田卓也の十章―イオンの基本

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コメント

  1. きよちゃん より:

    ついに月見が丘は閉店ですか・・・
    覚王山の郵便局や消防署の近くに下宿していた頃にはフランテも無くて
    一番近いスーパーではあった。
    (今池まで行くことが多かったのですが)
    住友銀行名古屋支店長の事件と一緒に記憶に残っているお店です。

  2. トッピー@管理人 より:

    >きよちゃんさま

    月見が丘と菱野は閉店となり、
    他はマックスバリュになりましたね…。

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