この地方からハイパーマートが消えて十数年・とうとう名古屋から「ダイエー」消えた

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ダイエー名古屋店(名東区)※2005年撮影 1999年開店

10月1日付でブランド変更

 名古屋市内にある5店舗のダイエーが、10月1日付で「イオン」へと切り替わりました。実態としては、今年1月にダイエーはイオンの完全子会社になっているので、自然な流れともいえますが、かつてその名を全国に轟かせ、東海地方とも縁のあったダイエーの消滅は、地元の東海テレビのニュースでも「寂しい」として報じられました。

 この地方に残っていたダイエーは、千種区・今池店、北区・上飯田店、名東区・メイトピア店、名古屋東店、中区・金山店の5店舗。先月から運営はイオンリテールに移管されていて、今回のタイミングでは「看板がダイエーからイオンに変わるだけ」というところまで中身としては来ていました。

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かつては郊外にもあった

 ダイエーといいますと、かつて1972(S47)年に小売業売上1位となり、70年代~80年代にかけては日本最大の小売業として君臨し、創業地である神戸から関西圏を中心に、球団をもった九州を第2の故郷としているというイメージがありましたが、実はこの地方も縁が深いのです。

 名古屋1号店として開店したのは1969(S44)年の今池店。ダイエーの拡大路線を支えたのは旧・東海銀行でした。ダイエーが全国に店舗網を広げていくとともに、東海銀行も関西・関東への進出。バブルに乗ってどんどん拡大していきました。

 この地方でも90年代になると「ダイエー・ハイパーマート」業態を展開。1993(H5)年に瀬戸店、1994(H6)年に岡崎店、1997(H9)年に多治見店、1999(H11)年に東郷店、ダイエー鳴子店がハイパーマートに転換するなど、バブル崩壊後も大型SCが展開されましたが、どれも2000年代初頭に閉店となりました。

 瀬戸はピアゴ(ユニー)に、岡崎はフィール(コムタウン)に、多治見はバローに、東郷は輸入中古車販売店・オートプラネットに、鳴子はダイエーに戻り2013(H25)年7月末に閉店と、ハイパーマート店舗も全て姿を消しています。

九州に続いての消滅

 かつて福岡ダイエーホークスのあった九州でも、名古屋と同じく9月1日付でダイエー店舗はイオン九州とマックスバリュ九州の運営に切り替わっており、順次看板も「イオン」「マックスバリュ」に架け替えられていますが、38店舗あるために看板の架け替えは「今年度中」となっています。

 一方で名古屋は、5店舗ということで、一斉に看板が切り替わり、テレビのローカルニュースでは、華々しくテープカットされる様子や、紅白まんじゅうが配られる様子が映ったのですが…。

 その後のインタビューでは「寂しいですよね」という声を紹介し、今池の「ダイエー通り」は、カレーハウスCoCO壱番屋でも「今池ダイエー通店」となっているなど、「ダイエー通り」という愛称が深く親しまれており、これからもそこはダイエーのままで…といった構成となっていたのが印象的でした。

参照記事

なぜイオンにするのか?

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ダイエーメイトピア店(名東区)※2005年撮影 1983年開店・旧名東ショッピング

 なぜ「イオン」に切り替わるのか。イオン側の説明としては「(ダイエーよりイオンの方が)より地域に密着したブランドだから」とのことで、九州や名古屋は「イオン」に塗り替えた一方で、首都圏や関西は引き続き「ダイエー」を使うとのことですが、やはり将来的には「イオン」になるそうです。

 思えば。マイカル桑名、春日井サティ、松坂屋ストア。みんなイオン・マックスバリュになりましたものね。イオン傘下になるということは、即ち、看板もイオンになるということなのでしょう。

 もうこれで、ダイエーの看板が見られないのも然ることながら、名古屋では、木曜になっても「モッくん」に会いに行くことはできないということですね。

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