新聞広告で久々に見たメ~テレの正式名称・メ~テレは名古屋朝日放送になれない

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4/21中日新聞朝刊

メ~テレの正式名称とは

 21日の中日新聞朝刊に大きく見開きで、東別院こと真宗大谷派名古屋別院の2面広告が出ていました。「宗祖親鸞聖人750回御遠忌法要」についてのものだったのですが、気になったのは協賛各社の広告です。

 「羊も。狼も。メ~テレ」という文字。6チャンネル・メ~テレの広告がありました。確かにメ~テレは東別院に隣接した場所にありますからね。ただ、そこにあった文字に新鮮な印象を受けました。

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メ~テレに変わって13年

 メ~テレの広告にあった新鮮な文字とは「名古屋テレビ放送株式会社」。メ~テレという愛称が採用されたのが2003(H15)年4月。同時にそれまでの「名古屋テレビ」という呼び名が封印されたも同然。13年間に渡って、局名としては「メ~テレ」という露出のみとなっているので、今や、メ~テレが名古屋テレビの略であると知らない人も増えているのではないでしょうか。

 「名古屋テレビ」という字面でさえ見慣れなくなったところに、さらに「名古屋テレビ放送株式会社」という正式名称で載っているのですから、逆に新鮮に感じたというわけです。

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名古屋放送・NagoyaTV・ナゴヤテレビ

 メ~テレは当初、「名古屋放送株式会社」という社名で愛称を「名古屋テレビ」として開局しています。1962(S37)年4月1日のことです。のちにFMラジオ放送局を併設する計画があったために、ラジオ・テレビ兼営局になった際にもそのまま使用できる「名古屋放送」という社名にしていました。

 その後、FMラジオ放送局は「エフエム愛知」が単独で開局し、ラジオ局併設の夢は潰えます。そして1987(S62)年、開局25周年を機に社名を現在の「名古屋テレビ放送株式会社」と変更し、愛称を「NagoyaTV」とします。愛称はその後、「名古屋テレビ」「ナゴヤテレビ」と変更に変更を重ね、メ~テレで落ち着くこととなるわけです。

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撮影2002年9月

読売系メディアの名古屋基地になるはずだった

 そんな東別院のとなりにあるメ~テレですが、かつては現社屋の北側に本社があり、現在のメ~テレ本社が建っている場所には、「読売新聞社屋建設予定地」という看板が長年建っていました。

 それが実現していたら、メ~テレの社屋と読売新聞中部本社の社屋が並んでいた格好になり、名古屋における読売系新聞・テレビのメディア連合がここに集結という形になっていたわけです。

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撮影2004年2月

名古屋の「朝日放送」にはならない

 え?メ~テレってテレ朝系でしょ?

 現在のメ~テレの資本構成は、1位はトヨタ自動車ですが、2位が朝日新聞で3位がテレビ朝日。そして4位は読売新聞で5位は日本テレビという状況で、実は、朝日と読売の相乗りメディアなのです。これがかつては、朝日系と読売系の出資割合はほぼ一緒で、名古屋放送だった頃は、朝日と読売の合弁企業だったのです。

 放送内容もそのとおりで、日本テレビとテレビ朝日(当時はNET)の番組を半々で流す放送局でした。

 じゃあ中京テレビは何なのか…という話になるのですが、中京テレビは名古屋の財界と日本経済新聞によって作られた放送局で、当初は読売の影も日テレの影も無かったのです。だから、テレビ東京(当時は東京12チャンネル)の番組も多く流していたというわけですね。

 流れとしてはこうです。かつては読売と朝日が仲良く折半で立ち上げたメ~テレ。そこに日経らが新たにUHFで中京テレビを開局。当時UHFは見るために別途アンテナやコンバーターが必要な不便な放送局だったために、既存局のメ~テレを我が物に!と、日本テレビ&読売新聞とテレビ朝日&朝日新聞が綱引き。政界を味方につけたテレビ朝日&朝日新聞が勝利しメ~テレを手に入れます。

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撮影2002年9月

 日本テレビ&読売新聞はUHFの中京テレビに接近。中京テレビは日本テレビ系列となり、ニュース番組の提供に中部読売新聞(当時は本体と別会社)の名が見られるようになります。そして、日経新聞が独自に中日新聞と共同でテレビ愛知を開局すると、日経資本が中京テレビから抜けテレビ愛知に、そこに日本テレビが資本として入った…という形です。ただし、現在も読売新聞の資本はメ~テレのみで、中京テレビの主要株主にその名は見られません。

 政治的なテレビネットワーク再編が無かったら、この東別院の横に、読売新聞中部本社と、日テレ系のメ~テレが仲良く建っていたのだろうな…と。ほら、「ニッテレ」と「メ~テレ」って、その発想も一緒でしょ?

 先述のとおり、名古屋テレビが愛称「メ~テレ」を採用したのは2003(H15)年。日本テレビが愛称「日テレ(ニッテレ)」を採用したのも2003(H15)年。これを偶然の一致と見るか、それとも…。

 実際には、読売新聞の中部は「支社」になり、新社屋は建たなかったし、メ~テレはテレビ朝日系に。

 今でもテレビ朝日系のなかで、大阪のABC朝日放送や福岡のKBC九州朝日放送のようないかにも朝日な局に比べて、メ~テレの印象が異なるのも、この経緯を知ると納得です。読売資本が入っている限り、名古屋朝日放送になることはないでしょう。

この記事を書いた人

TOPPY/川合登志和

記事や脚本を書いたり、名古屋のラジオやテレビの構成作家をしたり出演したり、地域のFMラジオで喋ったりディレクターしたりミキサーしたり、講師したり、サイト作ったりしてます。

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