パンダと論理と情緒と自己嫌悪


写真:上野動物園 パンダ像

中国の国家主席がやってきて、とりあえず、パンダが2頭上野のやってくるという「成果」があったわけです。手土産に餃子を持ってくるようなユーモアセンスがあったら、見る目が変わるところでしたが、それはありませんでしたね。

思うところはいろいろありますが、パンダのお話。先日、日本に所有権がある唯一のパンダ「リンリン」がこの世を去り、上野動物園からはパンダがいなくなってしまったところに、国家主席の目に見える「手土産」として、パンダ2頭が上野動物園にやってくることになったわけです。しかし、贈与ではなく貸与です。

これは中国がケチになったわけではなく、ワシントン条約によって最重要保護種の贈与は禁止されていて、中国側は日本に贈与したくともできないのです。もちろん、有償貸与も禁止です。

でも、今回貸与される2頭のパンダに対して、年間1億円程度のレンタル料が発生するとのこと。有償貸与も禁止なのになぜ?

と思ったら、共同研究という形をとって、その費用の一部を、上野動物園側が負担するということになるとのことで、実際、現在日本の動物園がパンダの貸与に対してお金を支払っているのは、中国政府にではなく、中国の動物園に対してなのだそうです。

パンダは最重要保護種で、中国側も本気で保護に力を入れていて、その費用に充てられるのであれば、まあ、いいかな…という気もします。

私自身、ただ論理として考えるならば、年間1億円も出して、パンダなんてこれ以上いらない、神戸か和歌山に行って見ればいい、というところなのですが、

やっぱり、東京に行った際にふらっと上野に行って、パンダが見られるというのは素直に嬉しくて、パンダが来たら、そのために見に行っちゃうだろうな…。

人間、論理だけでは生きられないものだと思うと同時に、自分の情緒に何だか自己嫌悪を感じてしまったりもする、今回のパンダの一件でした。

この記事を書いた人

TOPPY/川合登志和

記事や脚本を書いたり、名古屋のラジオやテレビの構成作家をしたり出演したり、地域のFMラジオで喋ったりディレクターしたりミキサーしたり、講師したり、サイト作ったりしてます。

TOPPY/川合登志和をフォローする
ひとりごと
スポンサーリンク
シェアする
TOPPY/川合登志和をフォローする

コメントはこちらから

Loading Facebook Comments ...

コメント

タイトルとURLをコピーしました