~前回のあらすじ~
テレビ東京は「科学テレビ」として開局しCMも流さず1年で13億8千万の借金を抱え、社員も整理・放送も1日5時間半となってしまった。
つづき
そこへ科学テレビに救世主が現われる。
1967(昭和42)年NHK、日本テレビ、TBS、フジテレビ、NETが「科学テレビ協力委員会」を結成。日本テレビの徳光寿雄氏(和夫氏の父)などが
科学テレビにやってきた。
そして各テレビ局からお古の番組が提供されプロ野球中継を毎日中継し、その前後に映画を放送しました。
しかしまだ組織としては財団法人。本格的に復活するのは株式会社化する1973(昭和48年)を待たなくてはならないのです。
再建策とはいえ「科学技術振興財団テレビ局」が「プレイガール」や「ハレンチ学園」を放送していたというのは異常事態である。
しかしもし、教育路線を貫いていればどこかに買収され、(とある宗教団体が有力候補だったらしい、あくまでウワサだが)現在のテレビ東京は無かったのである。
その一般化への方向転換のお陰で1970(昭和45)年開局以来初の単年度黒字を計上する。
1973(昭和48)年10月31日夜、放送終了時、このテロップが出た。
日本科学技術振興財団
テレビ事業本部の放送は
これで終わります。
長年のご愛顧
ありがとうございました。
株式会社東京12チャンネルが
新しくスタートします。
テレビは12チャンネルをどうぞ!
そして1973(昭和48)年11月1日新生「東京12チャンネル」の放送がスタートしたのだ。もちろん一般総合局としてである。(NETと同時に総合化)
そして溜まりに溜まった借金を解消するため時の総理の命により日本経済新聞が経営参加する。
この頃の編成方針は「番組になるものはなんでもヤル」独立東京ローカル局として系列局も持たない、したがって編成は柔軟だった。
大阪・毎日放送から「ヤングおーおー」をマイクロネット。神戸独立U局・サンテレビからもマイクロネット。そしてサンテレビにも沢山の12チャンネルの番組がネットされた。サンテレビを通じて関西への番組進出も果たした。
制作番組もほかの局は見向きもしなかった、
そしてタレントも
どんどん新しいことを始めた。それが今でも伝統となっている。
新人発掘。新企画発掘。
この当たりが他局との大きな違いである。そんな番組があるの!?と驚いてしまう番組がテレビ東京には今でも多い。
そして東京12チャンネルはテレビ東京に変身する!その話はまた次回。


コメント