夕刊を休刊 岐阜新聞のラ・テ欄の並びには夢が詰まってる?

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岐阜新聞夕刊

岐阜県の郷土紙・岐阜新聞

 岐阜県の郷土紙として136年の歴史を誇る岐阜新聞が、9月末をもって夕刊を休刊すると発表しました。夕刊は1946(S21)年から発行されていたそうですから、こちらも71年にわたって発行されていたことになります。コンビニで買ってきたのですが…。

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朝刊と夕刊で違うラ・テ欄

 岐阜新聞の朝刊と夕刊で大きく異なるのが、最終面であるラ・テ欄の構成です。朝刊のテレビ欄は地上波テレビ局しか掲載されていません。フルサイズがNHK総合と民放5局、テレビ愛知とEテレがハーフサイズとなっています。これはBSなどを掲載している他の新聞とも大きく異なった特徴となっています。きっと、岐阜新聞の子会社である岐阜放送(ぎふチャン)の存在感を際立たせるためでしょう。

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 一方の夕刊は地上波、BS、ラジオがすべて掲載されておりこの面だけでラ・テ欄はすべて完結しています。Eテレも他の局と同じ扱いとなり、朝刊では内面に掲載されている三重テレビも顔を出します。

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どんな順番で並んでる?

 気になるのが岐阜新聞のテレビ局の並び順です。東京や大阪などではチャンネル順に並ぶのが一般的ですが、地方ではその新聞社との関係が如実に現れます。
 岐阜新聞の場合は左から

・3 NHK
・6 メ~テレ(テレ朝系)
・5 CBCテレビ(TBS系)
・1 東海テレビ(フジ系)
・8 ぎふチャン(独立局)
・4 中京テレビ(日テレ系)

 となっていまして、これはアナログ放送の時代から変わりません。この並びに、岐阜新聞との関連性を素直に見出すことは出来ません。なぜなら、直系の岐阜放送よりも中日新聞系のCBCテレビや東海テレビが先に来ているからです。では、何を意図しているのでしょうか。

勝手に想像してみるその理由

 その順番の理由は公表されていませんので勝手に想像してみます。ヒントになるのが、かつて岐阜放送は「テレ朝系の広域局として開局しようとしていた」という歴史です。昭和40年代、名古屋テレビ(メ~テレ)が日テレ系であったところに、岐阜放送がテレ朝(当時はNET)系で東海3県広域局として開局し、その後開局した中京テレビは日経新聞資本でしたから、そのままテレ東(当時は12ch)系になっていたら…。

 もし、岐阜放送がテレ朝系で開局できていたら…。

・NHK
・メ~テレ(日テレ系)
・CBCテレビ(TBS系)
・東海テレビ(フジ系)
・ぎふチャン(テレ朝系)
・中京テレビ(テレ東系)

 これ、アナログ時代の東京のチャンネル順、東京の新聞テレビ欄の順番ですよね…。実際のところはわかりませんが、ひょっとしたら、岐阜新聞のテレビ欄には、かつての岐阜放送の夢が今も表現され続けているのかもしれません。

 そういえば、岐阜新聞もかつて岐阜タイムスだった頃、「東海夕刊」という夕刊紙を発行して広域化しようとした時代もあったんですよね。といいますか、岐阜新聞の夕刊の歴史は東海夕刊が起源なのでは。

 岐阜を中心に東海3県を広域カバー。そう考えると、ぎふチャンラジオがradikoで正式に東海3県をカバーできているのは、グループの悲願ともいえますね。

信長と美濃 (岐阜新聞アーカイブズシリーズ)

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