なぜ名古屋と福岡は日テレ系がUHFスタートで後発なのか

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九州朝日放送とRKB毎日放送のベリカード

福岡のテレビ系列事情もなかなか複雑

 わが国で、民放テレビネットワーク5系列が揃っている地域は、北海道・関東・愛知・大阪・岡山香川・福岡のわずか6地域です。もちろん、どの地域も最後発はテレビ東京系列であることに違いはないのですが、それ以外の4系列・日テレ系、TBS系、フジ系、テレ朝系については、揃い方に大きな違いがあります。

 この6地域のうち名古屋と福岡に共通するのが「日テレ系が後発のUHFスタート局」であるということです。全国的なイメージでは「日本初の民放テレビ局」である日本テレビ系列は「古参」であることが多く、名古屋と福岡で日テレ系が後発UHFスタートであることに疑問を抱く人は多いのですが、調べてみますと、名古屋以上に福岡は日テレ系受難の過去がありました。

 今月、人生初の福岡取材旅行に出かけるので、予備知識まとめその1として、なぜ名古屋と福岡は日テレ系がUHFスタート局となってしまったのかを調べてみました。取材にはきっと関係ないのですけれども…。

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名古屋は当初・日テレ系はVHFでクロスネットだった

 大前提として、日本テレビは読売新聞資本であることを頭においてください。

 まず名古屋ですが、もともと名古屋の日本テレビ系列はVHFの「名古屋テレビ(メ~テレ)」でした。流れとしてはこうです。

・1956(S31)年12月 CBCテレビ開局 オープンネットからTBS系列に
・1958(S33)年12月 東海テレビ開局 オープンネットからフジテレビ系列に
・1962(S37)年4月 名古屋テレビ開局 日本テレビ系列&NET(現・テレビ朝日)系列

 当初は「系列」という考え方が無く、オープンネットという形で東京の番組はどちらかでごちゃまぜに放送されていたのですが、「系列」が組まれるようになると、CBCはTBS系に、東海がフジ系となります。

 当時はまだ東京12チャンネル(現・テレビ東京)はありませんでしたから、名古屋テレビが残る2局・日本テレビとNETのいいとこどりのクロスネットでスタートするのです。

 ここまでがVHF。次に4局目として開局するのが、UHFの中京テレビです。通常、4局目ができるとなれば、名古屋テレビが日テレとNETのどちらかを選んで、選ばれなかった方の系列に中京が収まる…というのが自然な流れです。しかし。

 先発のVHFに対して当時UHFは、今のBSみたいな扱いで、見るには別途アンテナもチューナー(コンバーター)も必要ということで、キー局もスポンサーも敬遠しました。日テレもNETも「名古屋テレビで番組を流したい!」となったため、名古屋テレビはそれまでどおり、日本テレビとNETの「いいとこどり編成」を続けます。

 中京テレビは「名古屋テレビがいらないといった番組」のみを放送するテレビ局としてスタート。そのため放送する番組が足りず、朝の放送開始は9時台。日経が資本に入っていたことから、東京12チャンネルからの株式番組やニュースを放送するなどして乗り切りました。

 その後、名古屋テレビが日テレの番組を勝手に削減するなどし、名古屋テレビと日本テレビの関係が悪化。1972(S47)年12月27日に日本テレビ・NET・名古屋テレビ・中京テレビの4社間での話し合いが合意。名古屋テレビはNET系列に、中京テレビは日本テレビ系列になるのです。

 当時を知る人の話によりますと、現場レベルでは名古屋テレビと日本テレビの関係が深く、中京テレビとNETの関係が深かったため、キー局の格的にもVHFの名古屋テレビが日本テレビ系列に、UHFの中京テレビがNET系に収まると思われており、この合意に名古屋の放送業界は驚いたそうです。

 後に書かれた当時のエピソードの資料を紐解くと、これには政治的な筋書きもあったそうですが、それはまた別の機会に。

 とにかく、名古屋で日本テレビ系列がUHFになったのは、このような経緯があったからなのです。今では、中京テレビが視聴率も売上も東海地区No.1。逆に名古屋テレビは、他3社に売上で50億円以上、大きく水をあけられています。この合意は、両社の未来の業績を決定付けたといってもいいでしょう。

福岡は日テレ空白期間がある

 それに対して福岡はどうかといいますと、名古屋よりもさらに日テレ系受難の地域で、空白期間が存在するほどなのです。

 まず福岡の独特な事情として挙げられるのが、「福岡エリア」と「北九州(かつては小倉・八幡)エリア」という、2つの放送地域があることです。現在でもNHKの夕方ニュースは、福岡エリアでは「ロクいち!福岡」なのに対し、北九州エリアは「ニュースブリッジ北九州」と、別番組を放送しています。北海道をのぞいて、同じ県内にNHKの放送局が複数あるのはここ、福岡県だけです。

 民放は現在わかれていませんが、当初は、民放も別々だったことが事情を複雑にしています。

・1958(S33)年3月 RKB毎日放送 福岡・北九州両エリアで開局 TBS系列
・1958(S33)年8月 テレビ西日本 北九州エリアのみで開局 日本テレビ系列
・1959(S34)年3月 九州朝日放送 福岡エリアのみで開局 フジ・NET系列
・1962(S37)年2月 テレビ西日本が福岡に進出・九州朝日放送が北九州に進出

 名古屋のVHF3局が出揃ったのが1962(S37)年なのに対して、福岡の3局化が早かったのは、当初、テレビ西日本と九州朝日放送は合併しての福岡・北九州相互乗り入れという絵が描かれていたからなのです。

 しかし、両局が維持されたままで、名古屋テレビが開局した1962(S37)年と同年に互いにエリアを乗り入れし、福岡全県にて、RKB(TBS系)、テレビ西日本(日テレ系)、九州朝日放送(フジ/NETクロス)という3局体制になるわけです。しかし、これで話が終わりません。

・1962(S37)年4月 山口放送が本局とは別編成で関門テレビを開局 事実上北九州進出

 なんと、山口県の日本テレビ系列局である山口放送が、関門中継局を「関門テレビ」と称して事実上の北九州進出を図るのです。しかし、北九州には日本テレビ系列のテレビ西日本があったために、山口放送関門テレビは本局とは別番組を放送しました。

 ここで、テレビ西日本が動きます。テレビ西日本はその名のとおり、西日本新聞系列。この山口放送関門テレビ開局をきっかけに、日テレの母体である読売新聞がこのエリアに進出。

 かつて、中日新聞もそうであったように、西日本新聞も読売新聞とは友好関係でした。そのため、テレビ西日本は日テレ系列に、CBCも東海テレビも中日新聞系でありながら、オープンネットという形で日テレの番組を放送していたのです。しかし、進出してくるとなれば友好関係は崩れます。

 テレビ西日本は1964(S39)年10月にフジテレビ系列にネットチェンジ
 九州朝日放送は1964(S39)年10月にNET系列単独に。

 RKB(TBS系)、テレビ西日本(フジ系)、九州朝日放送(NET系)に整理され、なんと、日本テレビ系列局が福岡県には存在しなくなってしまうのです。

 そのため、山口放送関門テレビは本局と同じ日テレ系の番組をそのまま放送できるようになるのですが、逆に、日テレ系の番組は北九州でしか見られなくなってしまうのです。

空白の5年間を経て

 スポンサードの番組は放送されていたものの、日本テレビ系列局が空白となって5年後。福岡に初めてのUHFテレビ局が開局します。1969(S44)年4月開局の福岡放送です。すんなりと日本テレビ系列となりました。

 しかし、北九州エリアには、山口放送が日テレ系として事実上進出していたこともあって、福岡放送の北九州進出は開局より5ヶ月遅れたのでした。

 このように、名古屋と福岡で日本テレビ系がUHFスタート局となった事情は、それぞれ違うようで、共通点もあります。

 それは、地元新聞社と読売新聞の関係です。創成期の記録を見ますと、読売新聞と友好関係にあった中日新聞、西日本新聞とのつながりもあり、日本テレビはネットワークを早期に組むことに成功したという記述があります。

 読売新聞の力によって、地元新聞社資本の東海テレビ、CBCテレビ、テレビ西日本で日テレ系の番組が放送できた一方で、そのテレビの力を足がかりに、読売新聞自身が地方進出を画策するようになり、テレビネットワークが断絶されたという流れだったわけです。

 ちなみに、読売新聞が福岡(北九州)に進出したのが1964(S39)年。当時から同時に名古屋進出も画策していたにもかかわらず、名古屋進出は1975(S50)年で、しかも「株式会社中部読売新聞社」と別法人という形をとっており、難産だったことが伺えます。中京テレビ開局よりもあとなのです。

 このような経緯から、中京テレビの資本に読売新聞はおらず、現在も読売新聞資本が入っている名古屋のテレビ局は、テレ朝系の名古屋テレビのままとなっています。そもそも、現在の名古屋テレビ本社があるのは、読売新聞が中部本社の新社屋用に確保してあった土地だったくらいの関係です。

 とはいえ、今は名古屋も福岡も5系列揃って整理されているわけですが…。名古屋と福岡を見比べると、フジ系とテレ東系に大きな違いがあるのです。それはまた次回に。

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