民間放送第一声・CBC中部日本放送の第90期定時株主総会に行ってきました

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中部日本放送(名古屋・中区)

株主総会に出席するのは初めて

 1951(S26)年9月1日、日本初の民間放送局として開局した中部日本放送(CBC)。ラジオ局の分社化を経て2014(H26)年、キー局を除いては初めてとなる認定放送持株会社体制に移行。しかし、持株会社を「ホールディングス」といった名称にせず、事業会社を「CBCテレビ」「CBCラジオ」などとし、持株会社の名を「中部日本放送株式会社」とすることで、そのまま引き継がれ今回「第90期」の定時株主総会となりました。

 CBCの株主総会に出席するのは初めて。CBCの局舎の前を通りかかることは何度もありましたが、中に入るのは本当に久しぶりです。株主総会の会場は「CBCホール」ですから、中に入れるのです。

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角ばった斜めの社章も健在

 「CBC」のロゴといいますと、筆記体とまではいかないものの、それっぽい感じで書かれたものの印象が強いですよね。それもそのはず、もう40年以上も使われています。

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 それとは別に、CBCが立体になって斜めに置かれたようなロゴがあるのです。かつては放送でもこのロゴを使っていたそうなのですが、筆記体風のロゴが登場してからは、社章として使われているのみでした。持株会社に移行しても社章としては健在で、「定時株主総会会場」の看板に、記されていました。

まずは局舎前で懐かしい

 入る前に、局舎正面で気になるものといえば、かつては「フロントスタジオ」として、「CBCニュースワイド」や「ミックスパイください」などが放送されていたスペース。現在はラジオ・テレビの番組宣伝がびっしりと張られています。

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 今思うと、こんな1階の大通りに面したガラス張りの場所でよく、テレビの生放送、しかも夕方のローカルニュースをやっていたものだな…と思いますね。

 さらには、向かって左手の現在はショップとなっている場所は、ラジオの「レインボースタジオ」でしたものね。ガラスを割られたこともあるという話しも聞きました。かつての超オープンだった頃の面影は今も残っています。

日本初の民間放送

 玄関前にある三角のモニュメントは「空」。「民放第一声の地」であることを記念したものです。昭和26年9月1日午前6時30分。時間まで記されていますが、その時間が重要なのです。大阪の新日本放送(現・毎日放送)が正午に開局していますので、日にちだけで見れば同日開局、時間まで書いてこその「民放第一声」なのです。

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 さらに、ロビーにもあります「開局当時のマイク」。そこにも「民間放送第一声」の文字。

 こちらのマイクにはボタンがあり、押すと、開局第一声の再現音声が流れるようになっています。

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 「日本初の民放」という扱いですと、中部日本放送と毎日放送が並列で紹介されることが多いので、ここでは「日本初」ではなく、「民放第一声」という表記が重要になるわけですね。

聞こえてこない聞けば聞くほど

 そんなCBCのロビーなのですが…「シーン」としています。CBCラジオの放送音声が聞こえてきてもいい気がするのですが、「シーン」としています。

 むしろ、株主総会に株主が出席しにやってきているわけですから、自社の「商品」に触れてもらうためにも、CBCラジオの音声を流せばいいのに…と思いますが…。

 そうですね。株主総会のスタートは10時。受付開始は9時です。その時間に流れている番組と言えば…。朝から下半身が元気になるあの番組。株主総会の受付には…ということでしょうか。

質問者がたくさんで…

 株主総会自体は1時間ちょっとでした。質問者が多く、全員が質問することはできませんでしたが、放送内容に言及するものもあり興味深かったです。

・ラジオの売上が前年比若干減で済んでいるのはなぜか?
・「ゴゴスマ」が名古屋から放送されていることでTBS制作の生ワイドとの「違い」とは?
・ワイドFMの音質はいいが、AMステレオをやめてしまう可能性はあるのか?

 業績面では、CBCテレビが磐石であるということ。年間視聴率は全日・ゴールデン・プライムで2位。夕方の「イッポウ」は全時間帯で1位。また、ラジオの聴取率の好調さ、売上も東海地区トップであることが報告されました。

再開発の具体的な話は出ず

 CBCの番組自体は、ほとんどがこのCBCホールのある「CBC会館」ではなく、新設の局舎で制作されていて、非常時の対策も施された増築がなされたことも報告されました。CBC会館は1956(S31)年落成と、60年の月日が経過しており、レトロ感すら漂っています。

 CBC会館を取り壊して再開発するということ自体は表明されているものの、具体的な時期などの明言は今回もありませんでした。

 CBCホールに入ったのは中学生の頃ぶりでしたが、いかにも放送用のホールという印象で、座席とステージの位置関係も、いわゆる普通のホールとは違うんですよね。「もうこっちには卓とか一切無いのか…」と、OBと思われる株主の方の会話がちょっと切なげでした。

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 おみやげは…、CBCラジオ・CBCテレビのタイムテーブルとタオル、名証IREXPOの入場券、そしてクオカードです。

 このクオカードが、「ラジオ開局65周年・テレビ開局60年」を記念したもので、ああ、そのラジオだけだった期間って、たった5年しかなかったの…と改めて感じました。

 株主質問のなかでもありましたが、「街に株主のいる放送局」。実はこれ、キー局を除くと数える程度しかないんですね。キー局でもフジテレビは1997(H9)年、テレビ朝日は2000(H12)年、テレビ東京は2004(H16)年と、上場は比較的最近のこと。名古屋で上場している放送局はこのCBC中部日本放送だけです。

 これからも、名古屋に密着、東海に根ざした、民放の雄としてのCBCであり続けて欲しいものです。この春からは仙台・宮城県でも放送され始めた「ゴゴスマ」のエリアマップに、JNN・JRN各地の放送局すべての名前が入っていたことに、何か気合を感じました。

 てっきり、CBCホールでの株主総会ということで、全員に「○」と「×」の帽子が配られて、決議事項に賛成か反対か「はい、かぶりましょう!」で採決が行なわれるかと思ったら、そんなことはないですね。拍手で採決で拍子抜けしました。

この記事を書いた人

TOPPY/川合登志和

記事や脚本を書いたり、名古屋のラジオやテレビの構成作家をしたり出演したり、地域のFMラジオで喋ったりディレクターしたりミキサーしたり、講師したり、サイト作ったりしてます。

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コメント

  1. 「街に株主がいる放送局」の発言をした株主です。 より:

    10年超連続出席・連続発言・連続CBC株式買い増しをしています。
    経営首脳が出口で見送りができる姿に経営に後ろめたさがないことを感じます。また、退任者の挨拶を社外役員まで全員行うのは珍しいことと聞いています。(これは私が初めて出席させていただいた総会で提案し、以後続いています)
    3年ほど前まではエレベーターの中ではラジオが聞こえましたが、去年は全く無音。今年は帰りのエレベーターでかすかに聞こえていました。
    私らのようなリスナー株主は何人もいるため、エレベーターで流れなくなったことは「聞けば聞くほど」でも話題になっています。
    一株主としてCBCに望む事は、リスナーや視聴者、スポンサーや株主のいる街角に行き声を聞く姿勢。願うことは「常に弱い者の側に立つ放送局」であることです。

  2. 山下 より:

    CBC中部日本放送が現行ロゴマークを導入したのは創立25年目を迎えた1975年3月からです。

    CBC会館は1956年9月1日に完成しましたから、名古屋市営地下鉄東山線よりも早く完成しています。何度か建て替えや移転が議論されましたが、今に至るまで現役で2016年9月に還暦を迎えました。

    5chは1953年6月1日にNHK名古屋放送局のテレビ試験放送で使用を開始
    (東京局と大阪局は1952年2月1日にテレビ試験放送が開始されたが、東京は後に教育テレビに使用された3ch、大阪は後に新日本放送=現MBS毎日放送に譲渡された4chを使用)。
    1954年2月1日のNHK名古屋放送局テレビ本放送開始時も5chが踏襲されましたが、
    CBCテレビの開局に合わせて1956年11月25日に3chへ変更し5をCBCへ譲渡しました。

    CBCテレビは1956年12月1日に日テレ・大阪テレビ放送(現ABC朝日放送テレビ)・ラジオ東京テレビ(現TBSテレビ)に次ぐ全国4局目の民放テレビとして開局しました。

    民放テレビ開局は全国4局目でしたが、もちろん中部地方初であり、
    この時点で3大都市圏以外はNHKすらテレビがまだ開局していませんでした
    (1957年3月21日にNHKは札幌3ch・仙台3ch・岡山5ch・広島3ch・小倉6ch・福岡3chと次々に総合テレビを開局し全国化。民放もHBC北海道放送、RKBラジオ九州の順に次々と民放ラジオ局のテレビ進出が増えました)

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