アナログ時代のテレビ東京の代名詞「12」 最後の名残が消えた

tvtokyo2

日経電波会館のテレビ東京(2006年)

テレビ東京といえば「12」だった

 今ではその印象がすっかり薄れてしまいましたが、かつてテレビ東京といえば「12」でした。

 そんなことを言ったら、テレビ朝日だって「10」だったし、テレビ愛知だって「25」だったし、アナログとデジタルでチャンネルが変わったテレビ局なんてたくさんあるでしょ?と言われるかもしれませんが…。

 テレビ東京だけは、ちょっと違うのです。

[広告]

かつては局名も社名も「12」だった

 テレビ東京の象徴が「12」だった理由は、ただ単にアナログのチャンネルが12だったからというだけではありません。

 テレビ東京は1964(S39)年4月12日、「科学技術振興財団テレビ事業本部」として開局しているのですが、その時の愛称が「科学テレビ」「東京12チャンネル」。次第に「東京12チャンネル」だけが使用されるようになります。

 そう、放送局名が「東京12チャンネル」だったのです。

 そして経営が行き詰まると、科学技術振興財団テレビ事業本部の番組制作をしていた会社「東京十二チャンネルプロダクション」が、財団から免許を継承。1973(S48)年10月1日に「株式会社東京12チャンネル」となります。

 放送局名だけでなく、社名までもが「東京12チャンネル」となり、すべてにおいて「12チャンネル」と呼ばれるように。ただし放送エリアは関東のみ。ネットワークは持っていませんでした。

 ただ、昭和40年代は毎日放送と中京テレビと事実上のネットワークを組み、昭和50年代になるとサンテレビ、KBS京都、中京テレビと系列のような状態にはなっていました。

 そしてようやく、大阪に系列局開局の見通しが立ち、東京12チャンネル自身がネットワークをもつことに。すると関東以外では「12チャンネル」ではないことから、社名が変更されます。

 1981(S56)年、東京12チャンネルは「テレビ東京」になるのです。

 とはいえ、関東でのチャンネルは「12」のまま。「12チャンネル」という呼び名は変わることはありませんでした。また、英文社名は引き続き「Television Tokyo Channel 12, Limited」とし、海外では英語だけなく中国語でも「12チャンネル」と名乗り続けました。その背景には、当時海外ではTBS(東京放送)テレビが「TOKYO TV」「東京電視台」と名乗ることがあり、TBSとの混同をさけるためという説がありました。

地デジで消えた「12」

tvtokyo

 テレビ東京の「12」へのこだわりは強く、開局も4月「12」日でしたし、2代目の本社となる日経電波会館へ移転したのも1985(S60)年12月12日、その住所は4丁目3番地「12」号。初の自社不動産である天王洲スタジオの運用を開始したのも1999(H11)年12月12日、テレビ東京自身も「12」をアイデンティティとし続けたのです。他局よりも強く、です。

 そんなテレビ東京ですが、2003(H15)年12月1日に地上デジタル放送が始まると、チャンネルは「7」に。同じ年、英文社名も「TV TOKYO Corporation」へと変更されます。

 そしてアナログ放送が終了した2011(H23)年7月24日をもって、テレビ東京は「12チャンネル」での放送を終了。7チャンネルに一本化。テレビ東京から「12」は消えたかのように見えました。

郵便番号が変わった…

 2016(H28)年11月「7」日、完全に7チャンネルとなって5年が経過したテレビ東京は、それまでの日経電波会館から六本木グランドタワーへと本社を移転しました。

 移転後、ポケモンアニメを見ているとプレゼントのお知らせが。

 郵便番号「106-8007 テレビ東京」

161120

 あ、郵便番号が変わってる!

 そうなんです。アナログ放送が終わったあとも、テレビ東京の郵便番号はずっと「105-8012」でした。「12」が残っていたのです。

161120a

 今でこそ当たり前になった、住所を書かなくても届く専用郵便場号とも呼ばれる「大口事業所個別番号」。まだ郵便番号が5ケタだった1980年代後半、テレビ局にも割り当てられるようになると…、ほとんどのテレビ局が下2ケタをチャンネルナンバーにまつわるものにしました。

 12チャンネルのテレビ東京は「105-12」。それが7ケタ化された際に「105-8012」となって、この11月6日まで使われ続けていました。

 テレビ東京の郵便番号は本社移転で「106-8007」に。2016(H28)年11月7日、テレビ東京にしぶとく残っていた「12」が消えました。

東京12チャンネル運動部の情熱 単行本(ソフトカバー)

この記事を書いた人

TOPPY/川合登志和

記事や脚本を書いたり、名古屋のラジオやテレビの構成作家をしたり出演したり、地域のFMラジオで喋ったりディレクターしたりミキサーしたり、講師したり、サイト作ったりしてます。

TOPPY/川合登志和をフォローする
深層テレ東伝説
スポンサーリンク
シェアする
TOPPY/川合登志和をフォローする

コメントはこちらから

Loading Facebook Comments ...

コメント

  1. ハマチ より:

    田舎生まれ田舎育ちとして、Toppyさんよりもテレビ東京を見たい欲は凄くあった幼少期。
    福岡→関東と住むようになり、テレビ東京が当たり前になりました。
    田舎に帰省してもBSJAPANがあって、WBSを見ない日がないほどに。
    つまり12チャンネルを知らないのです。
    でもなんとなくテレビ東京は特別な局。なりたちもやってることも局のモットーも。
    だからこれだけ思いがあるのですね。
    ますますテレビ東京が好きになりました。
    そして今まで黙って見ていた私もコメントしてしまいました。

タイトルとURLをコピーしました