写真:あいりん地区(大阪・西成区)
Yahoo!JAPANのニュース・トピックスで、「橋下・特区構想の『あいりん地区』結核発症深刻」という記事が掲載されていまして、その記事内の「◇『あいりん地区』について」という参考ページとして、トッピーネットの、
僕はただ、その現実を受け止めることしかできなかった-あいりん地区
前回まで2回に渡ってご紹介した、阪堺電車で今池駅へとやってきました。大阪唯一の路面電車として運行している阪堺電車ですが、この区間では地上よりも一段高いところを走 ...
この記事が掲載されました。Yahoo!のトップページのニュース項目にも
掲載されていたトピックスだったため、夕方から夜にかけて、大量のアクセスがあり、トッピーネット全体が繋がりにくい状況となり、ご迷惑をおかけいたしました。
名古屋ネタで参考サイトとして取り上げられたことは、これまで、Yahoo!ではもちろんのこと、Yahoo!に限らず、テレビ番組などでも何度かあったのですが、名古屋ネタ以外の記事がこのような形で紹介されたのは、はじめてのことでした。
インターネット上には、この「あいりん地区」こと釜ヶ崎のレポートが無数にあふれていて、検索でも、当サイトの記事は上位に上がってこないにもかかわらず、このような形で取り上げていただいたことで、自分のやってきたことに、自信を得られました。
このレポートは、当サイトのなかでは、異質なものに感じられるかもしれません。ですが、街をテーマに、あくまでも名古屋が中心ではありますが、あちこちの街の様子を自分の視点で記録して、掘り起こすことを目的としてやってきたサイトとして、先入観なく、街の表情を記録するということで、その存在を多くの人に知ってもらいたいという気持ちは、どの街に対しても同じです。
これからも、自分の目で見て、感じた、自分の思いを、書き綴っていきたいと思います。
コメント
masaです。
久しぶりにコメントさせていただきます。
背伸びも独断もなくコツコツとレポートを積み重ねる
トッピーさんの真摯な姿勢が好感を持たれ、
記録としての価値も評価されたんでしょうね。
私が初めて釜ヶ崎の名を知ったのは、暴動を伝えるテレビの映像からでした。
1970年前後のことです。
燃え盛る炎や、ものを投げ、叫び声をあげる群衆の姿が印象に残っています。
学生運動や国境を越えた反戦運動と底流でつながっているように感じていたのは、
山谷や釜ヶ崎を活動の拠点にしようとしていた
新左翼の本を読みかじっていたせいでしょうね。
私は高校生でした。
社会人になりたてのころ、友人から聞いた話で印象深いものがあります。
釜ヶ崎のめし屋でカツ丼を食ったときのこと。
1杯50~60円だったか(うろ覚え)、当時としてもバカ安のどんぶりは
残飯をかき集め火を通し、盛りつけ直したもの。
食ってる最中に中からつまようじが出て来て、
さすがにそれ以上食えなかったとか。
そこで暮らす人たちや店のたくましさが伝わって来て、笑いました。
レポート、今後も楽しみにしています。
>masaさま コメントありがとうございます。
そう仰っていただけるととても嬉しいです。
私のこのサイトに対する姿勢としては、
興味のある事柄について、まずはとにかく全て受け止めて、
自分の言葉で伝えたい…という気持ちで書いていますので、
それを評価していただけるのは本当に嬉しいです。
私がこの地区のことを特に意識したのは、
小学生の時にテレビのニュースで見たルポでした。
父が会社をやめ、個人事業をやり始めた矢先ということもあり、
家計の不安定さから来たのであろう家庭内の不安な空気と、
釜ヶ崎の様子が変にリンクしてしまったことが最初でした。
その、ご友人のお話は衝撃ですね。
つまようじはさすがに、厳しいです…。
ありがとうございます。これからもコツコツと続けていきますので、
末永くよろしくお願いいたします。