1939(S14)年に名古屋鉄道と合併し、名鉄瀬戸線となった「せとでん」名鉄になって75年の時が経過しているにもかかわらず、合併前の瀬戸電気鉄道を略した「せとでん」が長らく愛称として地元の間では使われており、今でも瀬戸線ではなくせとでんで瀬戸では通っています。
せとでんは1978(S53)年8月20日に、栄町に乗り入れを果たし、瀬戸と栄を結ぶアーバンラインとなるのですが、それに先駆け、その年の3月19日には1500Vへ昇圧、6600系新車両が投入され、車両ががらっと変わったのです。
それからずっと、せとでんは赤というイメージが定着していたのですが、喜多山検車区が廃止され、尾張旭検車区が運用開始となると、揮発性塗料による塗装設備が設けられることはなく、2008(H20)年より、せとでんにはステンレス車両が投入され、新型車両への置き換えが始まったのです。
そしてこの春、2014(H26)年の4月6日までに、赤い6000系車両は全て引退することになり、赤いせとでんから、銀色のせとでんへと、大きく一つの時代が移り変わることになりました。
まもなく赤いせとでんとお別れとなるこの正月、1日から5日まで、6000系車両には「迎春系統版」が掲出されました。
そこには「せとでん さよなら赤い電車」の文字。私も一時期、赤いせとでんで栄に通勤していましたので、新型車両が登場した際にはわくわくしましたけど、その一方で、慣れ親しんだ赤いせとでんがいなくなってしまうことに、寂しさはありますね。
それにしても、名鉄側がオフィシャルで、「せとでん」と表記しているのが面白いですね。数年前の「せとでんトランプ」あたりからですよね?公式でこの表記をするようになったのって。
しかしまあ、あらためて思うのは、よくもまあ、75年前に廃止された愛称が、今でも瀬戸では主流ってのが、すごいなって。その理由、瀬戸で育った自分には、よくわかります。
だって「名鉄瀬戸線」って、名古屋鉄道の瀬戸線なわけで、名古屋が主体ですものね。それに対して「せとでん」は、瀬戸電気鉄道の略で、瀬戸が主体ですからね。瀬戸って、今では経済的にも人口的にもそんなに目立つ存在ではありませんけど、そういうところ、こだわりますからね。
瀬戸は名古屋の衛星都市でもベッドタウンでもないという自負。
そういうところが、地元ラジオ局の業績の良さにも繋がっているのでしょうね。さあ、赤いせとでん、あと3ヶ月です。
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