ありがとうドラゴンズ

今月、中日ドラゴンズの試合をナゴヤドームに4試合見に行きました。

10月1日は見事セリーグの優勝を決め、落合監督の胴上げを見ることができたものの、試合自体は延長12回で負け。そして日本シリーズ第1戦、中日のヒットはわずか2本。49分間の中断もあり盛り上がる場面も無く終了。

その後西武ドームで2連勝し、王手をかけて名古屋に帰ってきた第6戦。試合は最初中日ペースで、これはひょっとして50年ぶり日本一の瞬間が見られるかもとドキドキ。ドームは中日ファンの唸り声で場内アナウンスはほとんど聞こえない状態でした。しかし、地元出身の西武・和田選手にやられて終了。

友人が取ってくれた1戦と6戦のチケットで、私は連れていってもらったので7戦はテレビで見るつもりでした。6戦を見終わって家に帰ると、1本のメールが入ってきました。それは株の先生からでした。「7戦が平日になってしまって、1人来られなくなっちゃったんだけど、来る?」

おおおお!私は狂喜乱舞しました。もう見られないと思った優勝決定戦が見られるのです。先生に深く御礼を言って当日を待ちました。

10月25日、午後5時。先生との待ち合わせ場所である栄の中日ビルに向かうと、既に人だかりができていました。中日ビルの1階には特別にモニターが設置され、ファンが観戦の準備をしていました。5時20分頃にはCBCテレビの中継車もやってきて、会場は熱気に包まれつつありました。

午後5時半に先生と落ち合い、ナゴヤドームへと向かいました。地下鉄名城線がこんなに混んでいるのは初めて。というくらいに電車は混雑していて、まるで東京の山手線のようでした。もちろんナゴヤドーム前矢田駅で皆降ります。

ナゴヤドームは6戦から、入場券を持っていないと敷地に入ることが出来ないように規制されていたので、ダフ屋がかなり手前にいました。そして何とか試合が始まる前に座席に座ることが出来ました。

試合の流れについては書きませんが、中日は7点のリードを許してしまいました。7回の「燃えよドラゴンズ」大合唱は、今までに感じたことがないくらいの大きな歌声でしたが、それは7点差に対する悲痛な祈りの叫びにも聞こえました。

得点が無く迎えた9回裏。リナレス選手が出塁すると、もう内野も全員総立ち。奇跡を信じて叫びました。ナゴヤドームがひとつに、名古屋っ子がひとつになった瞬間でした。結局反撃は2点で終わってしまいましたが、あの感覚はすごかった。

私の近くには親子連れがいました。小学校高学年くらいと思う娘さんとお母さんだったのですが、その女の子はメガホンを持って飛び上がって必死に応援していました。谷繁選手のユニフォームを着ていて、9回ドミンゴ選手に続いて谷繁選手がヒットを打ったときにはそれはもう大興奮でした。

試合後、よっぽど残念だったのか女の子は泣いてしまいました。TBSのカメラが近くにいてその子を写していたので、ひょっとしたらテレビで映っていたかもしれませんね。私はそのすぐ前で立浪選手のユニフォームを着ていましたが、多分映ってはいないでしょう。

それだけ感情移入できるというのは素晴らしいことですね。あの女の子のためにも、絶対来年もリーグ優勝して、西武にリベンジを果たしてほしいです。西武というチームがインサイダー取引にめげずに残っていればの話ですが…。

私も少年時代、野球をテレビで見ながら涙したことはあります。でもそれは今ここで書かないことにします。なぜなら…。それは明日以降の日記で…。

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