2005年の万博に何を見たいか

「郭はもう泣いています」という東海テレビ吉村功アナウンサーの実況が印象的だった、16年前の中日ドラゴンズリーグ優勝。思えばあの時も翌年に名古屋は博覧会の開催を予定していました。ドラゴンズ優勝の翌年に博覧会。16年前と今同じ道を名古屋は歩もうとしているのですが、あの時とは何かが違います。

 1989(H元)年に名古屋で開催されたのは「世界デザイン博覧会」でした。名古屋市内に奇妙な、いや素敵な彫刻が溢れ、名古屋市がデザイン宣言を行ったきっかけとなったイベントでした。当時私はまだ中学生でした。来年開催される国際博覧会の「愛・地球博」とは違い、このデザイン博は当時バブルでブームだった地方博のひとつに過ぎませんでした。それでも当時の私は、来年の万博以上に当時デザイン博に何かを期待していました。

 博覧会と言えば、新しい技術、未来を見に行くものだと私は思っていました。奇しくも愛・地球博のメイン会場となる愛知青少年公園にはかつて、大阪万博にあったロボット館というパビリオンがリサイクルで移築されていました。私がそれを初めて見たのは小学生のときでしたので、万博から12~13年経過していましたが、展示されていたロボットにすごい発展した未来を感じました。

 そして1985(S60)年、「科学万博つくば’85」が茨城県で開催されました。私は残念ながら行くことはできませんでしたが、毎日会場から放送された「EXPOスクランブル」で紹介された数々のパビリオンには、想像を越えた未来を感じることができました。FAXや携帯電話が夢の様な存在でした。この頃はドラえもんの道具に「携帯電話」があったくらいなのですから。

 世界デザイン博覧会は、あくまでもデザインをテーマとした博覧会ではあったものの、トヨタをはじめモノ作りが盛んなこの地方ならではの新技術の展示もありました。未来への冒険ができたアドベンチャービークルや、立体CGシアター、そしてロボット館で見たロボットよりもさらに進化したロボットを見ることができ、漠然とした未来への憧れを増幅させられました。

 しかしその後バブルは弾け、社会に閉塞感が漂うようになり、根拠のない右肩上がり、未来への成長を信じ続けるということはできなくなりました。そしてFAXや携帯電話どころか誰もがお金さえあればペット型ロボットを買うことができ、テレビ電話つきの携帯電話をもつこともでき、インターネットで世界中と瞬時に繋がることができるようになりました。

 これ以上未来に何を望むというのでしょうか。

 それが、万博に期待ができない大きな要因だと思います。今回の「愛・地球博」は「自然」をテーマにしています。確かにこれからの未来は科学技術よりも自然を残すことに努力していかないといけない時代なのかもしれません。

 万博に期待が持てない原因、それは未来に期待ができない世の中になってしまったからではないでしょうか。となると、愛・地球博を成功に導くには、確固たる年金制度の確立と、景気の上向きを確実に感じられる世の中にすることが先決です。あと半年じゃ無理だね。
 

 モリゾーにキッコロ、時代が悪かった??

 では、バブルに踊ったあの頃に戻って、万博への期待をできるだけ高めてみましょう。「♪思い出して欲しいの、つまらない明日じゃないよ…。」

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