世界遺産登録勧告で注目の「軍艦島」とはどういう存在なのか…上陸レポート

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「軍艦島」端島(長崎市)

世界文化遺産への登録勧告

 4日に世界文化遺産への登録勧告を受けた「明治日本の産業革命遺産」。全国各地にある23の施設がまとめて一つの遺産として登録される見込みとなり、一気に訪問者が増えた場所もあるなど、その影響力の大きさには驚くばかりですが、それらの施設のなかのひとつを取り上げた記事が当サイト「トッピーネット」にもありまして、こちらもさっそく、たくさんのアクセスがありました。

 その施設とは、施設…いや、今は廃墟と言った方が良いでしょうか。長崎県の「軍艦島」こと端島です。

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軍艦島に上陸したのは6年前

 炭鉱として栄え、かつては「未来都市」と言われた炭鉱の島・軍艦島。閉山から35年間、島への上陸は禁止され、解禁となったその2ヶ月後に長崎へと飛びました。軍艦島の何が魅力で、何が見どころで、そこにどんな物語があるのか。当サイトでは当時、3回シリーズで上陸レポートをまとめていまして、その記事にもアクセスが集中しています。

 軍艦島って、聞いたことはあるけど、一体何がどう引き寄せられるの?ちょっと長いですが、このレポートで、軍艦島とは何か、今の時代に何かを訴えているのではないか…が、お伝えできているのではないかと思っています。

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このような記事をアップしています

島全体が廃墟・かつての未来都市へ

 まずは上陸までのレポートです。軍艦島は悪天候ですと上陸できず、例え雨が降っていなくても、船が出航できたとしても、必ずしも上陸できるわけではありません。また、上陸までに長崎の湾内からどのような景色を見ながら軍艦島にたどり着くのか、書いています。

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いざ上陸!そこにあった暮らしは…

 軍艦島が未来都市と呼ばれていて、人々が豊かに暮らしていたと言われている頃は、一体どのような生活がこの離島で繰り広げられていたのかを、当時を知る人の声とともに紹介しています。炭鉱であり街であることから、島は社有地にもかかわらず、信じられないような施設までもがあったのです。

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働いていたのは誰・そしてどこへ…

 ものすごい人口密度で人々が暮らしていた炭鉱の離島。一体、どういう人たちがそこで働いていたのか、そして、炭鉱の閉山とともに人々はどこへ行ってしまったのか。今、軍艦島の姿が我々に訴えたいこととは何か。そこに存在している意味とは何かを考えています。

 長いですので、お時間のあるときにでもぜひお読みください。

この記事を書いた人

TOPPY/川合登志和

記事や脚本を書いたり、名古屋のラジオやテレビの構成作家をしたり出演したり、地域のFMラジオで喋ったりディレクターしたりミキサーしたり、講師したり、サイト作ったりしてます。

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