教科書でつづる小学校国語の今・昔展で見た教科書における桃太郎の変質ぶり

三重県伊賀市で見てきた「桃太郎」

11月の下旬に三重県の旧上野市、現在の伊賀市へ 遊びに行ってきました。この時期に三重県へ観光に行ったのには理由があるのですが、 それはまた時期を見て書きたいと思います。伊賀といえば忍者、 ですが今回は桃太郎について書きたいと思います。と言いましても伊賀と桃太郎には 何も繋がりは無く、偶然桃太郎に出会ったからです。

旧小田小学校本館に行ってきました

 上野公園・伊賀上野城の北西、上野高校の真北にひかり保育園があります。そしてそのすぐ隣に三重県指定 文化財となっている旧小田小学校本館があります。小田小学校は1876(M8)年に創設されたのですが、それがどこに あったのかは記録に残っていません。
 その後1881(M14)年にこの校舎へと移りました。それが今も残るこの校舎なのです。 小田小学校は1965(S40)年に児童数減少により廃校となり上野市立西小学校(現:伊賀市立上野西小学校)に統合されました。

三重県で現存する小学校の校舎で最も古い

 三重県で現存する小学校の校舎のなかでは最も古く、モダンな木造洋風二階建の建物です。玄関ポーチの上にはバルコニーが あり、それをエンタシス風の円柱が支えます。
 そして展示されているのはこの建物だけではなく、明治時代から廃校になる1965(S40)年 までの教科書、卒業証書、賞状から顕微鏡や実験器具などの備品、横断歩道で使う小旗やピアノ、そして通知表まで計300余点に のぼります。

教科書でつづる小学校国語の今・昔展

 また、11月に限り企画展「教科書でつづる小学校国語の今・昔展」が開催されていて、それは明治時代から 今日に至るまでの教科書を、なんと実際に手にとって見ることができるという大変興味深いものでした。 最初に目に止まったのは、やはり自分が使っていた教科書です。伊賀市では光村図書の教科書を採用しており、 偶然私が幼少の頃使用していたものだったのでとても懐かしかったです。

 1・2年生向けの教育用の大きな絵も 展示されており「スイミー」「おてがみ」といった作品と約20年ぶりの再会となりました。ここでこの教科書展を 見なければ一生それらのお話を思い出すことはなかったでしょう。しかし、その絵を見ただけで鮮明に当時のことを 思い出すのですから人間の記憶は不思議です。

1年生のものでも…わからない…

 ひとしきり懐かしんだ後、時代順に並べられた教科書を見ました。 1872(M5)年に自由出版の教科書が日本で初めて作られたのですが、1年生用のものを見ても言葉が難しく理解できません。
 
 漢字も今と違い旧字であることにもよりますが、翻訳された作品が載っているために当時でも直訳で不自然だったとのこと。 それにしても旧字とはいえ難しい。その後1881(M14)年になると許認可制の教科書となり、1886(M19)年には国家統制・検定制に。
 
 1904(M37)年には国定一期教科書である尋常小学校読本となり、「イ」に椅子のイラスト、「エ」に枝のイラストといった具合に 小学生らしい教科書になっていきます。
 
 二期、三期と改定され、続く1933(S8)年の国定四期教科書には 「サイタ サイタ サクラガ サイタ」という有名な一文が登場し、なんとこの時点でカラーになります。 ペラペラとめくると「ススメ ススメ ヘイタイ ススメ」という一文が目に入り、教科書に時代が反映されている様子が伺えます。

戦後になると…墨塗りの教科書が

 戦前最後の教科書となる、1941(S16)年の国定五期教科書は「アカイ アカイ アサヒ アサヒ」で始まり、学校も小学校から 国民学校に変わり、軍事的な内容がさらに濃くなります。
 
 そして戦後は、それら軍事的な内容の部分に墨を塗ったり、ページを 貼り合わせて見えないようにするなど加工が施されます。それらも展示されていて実際に墨が塗られた教科書と、 塗られる前は何が書いてあったのかが対比でき興味深かったです。
 
 そして1949(S24)年からは検定教科書制になり私の親たちが使っていた教科書になります。 複製ではなく、実際に当時の教科書をめくって見る機会というのは初めてでしたので、 内容だけでなくその質感も当時を体感でき感慨深かったです。

教科書のなかの桃太郎の変遷

 全体的に面白かったのですが、中で最も食入るように見てしまったのが教科書における桃太郎の変遷が紹介された コーナーです。 桃太郎は室町時代に作られたおとぎ話なのですが、当初は全く違うストーリーだったそうです。
 
 教科書への 採用によって、今日伝えられている家来とともに鬼退治をする桃太郎のストーリーが形成されたのです。 現在教科書には桃太郎は掲載されていません。 それは桃太郎が戦争を象徴しているからです。
 
 明治から昭和の太平洋戦争にかけて日本は軍事色が次第に濃くなって いくのですが、教科書の桃太郎にはそれが如実に表れています。

 最初の桃太郎は実にあっさりしたもので、何が言いたいのかわからないほどです。桃太郎に きびだんごで誘われた猿、犬、キジが鬼が島で鬼を退治するだけなのですが、これが明治の後半になるに従って…
 
 猿が「俺が先に塀を乗り越えて鍵を内側から開けるから、そうしたらキジは鬼の目をつつけ。」と言うなど戦略的になり、 さらに、それまで猿、犬、キジの家来達はきびだんこに惹かれて桃太郎についてきたのが、桃太郎から鬼の悪行を聞かされ 鬼退治という目的、その桃太郎の人格に惹かれてついていく話になります。そして鬼を退治するだけだったのが、鬼は桃太郎たちに宝物を自ら差し出すようになります。

 極めつけは、最初桃太郎は桃の絵が描かれた扇子を持っていたのですが、それが 日の丸の扇子になり、昭和の教科書になると、宝を持って帰ってくる桃太郎たちを、 おじいさんおばあさんが日の丸の小旗を振って迎えるようになります。

 この桃太郎の移り変わりを見ることで、日本が軍国主義、戦争に傾倒していった様子が手に取るようにわかります。 教科書は何よりも当時の国の体制を表しています。
 
 教育がその根本でなければなりませんから。冷静に考えてみれば、桃太郎達は、 自分達に危害を加えているわけでもない、遠くにある「鬼が島」と呼ぶ島に勝手に上陸し、 そこに住む人々を鬼呼ばわりして不意に攻撃し、その上宝物をぶんどって帰ってくるわけです。

 日本一の桃太郎…。

 桃太郎のお話を子ども聞かせる際は、こういった時代背景があって誕生した 話であることを頭の片隅に置く必要がありそうです。でも、鬼の言いなりになっている桃太郎、犬・猿・キジの ご機嫌をとる桃太郎というのも見たくありませんね。

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