愛知県住宅供給公社菱野団地管理事務所前(愛知・瀬戸市)
国鉄が貫く計画があったはずの菱野団地
高度経済成長期に造成された住宅団地として全国的に語られることの多い、多摩・千里・高蔵寺の3大ニュータウン。そのなかの「高蔵寺ニュータウン」は、春日井市の北東部にあり、1960(S35)年に計画がスタート、1968(S43)年に入居が開始しています。ピークは1995(H7)年でその時の人口は52,000人でした。
そんな高蔵寺ニュータウンの後を追うように、春日井市に隣接する瀬戸市に造られたのが、菱野団地です。1967(S42)年に県営菱野団地起工式が行われ、1970(S45)年3月に入居が開始されています。ピークには2万人近くの人口がありました。
高蔵寺ニュータウンに比べて、メディアなどで語られることの少ない菱野団地ですが、その中心部にある広場は、国鉄の駅前広場になるという話があったはずなのです。それは夢か幻か。その地に立ってみます。
東海銀行も松坂屋もエビスヤも消えた
菱野団地は、中央にある菱野台に商業施設が集まる設計となっていて、その菱野台のどまんなかにはその名もセンターと呼ばれる場所があります。
この団地は、黒川紀章氏が設計を手がけており、原山台、萩山台、八幡台の順に建設、萩山台だけに一方通行道路が存在したり、八幡台にだけY字型ツインコリダーがあるなど、建設過程において試行錯誤があったのではないかと思えるような違いがあります。
かつてセンターには、総合衣料のエビスヤ、都市銀行の東海銀行、ハイソな奥様向けの松坂屋ストアがあり、それらに囲まれるように中央には噴水のある時計台が設けられていて、常に子どもたちの声がこだましていたのですが、今ではそれですら幻だったのではないかと思えるほどに静まり返っています。
東海銀行跡
ここのエビスヤはかなり前に閉まっていますが、エビスヤ自体は福井県のショッピングモールで最後まで営業を続けていたものの、2008(H20)年に破綻。東海銀行は瀬戸南支店が出張所に格下げされ、結局瀬戸支店に統合。現在は東海銀行が抜けたところに居抜きで瀬戸信用金庫が入っています。
そして、松坂屋ストアは大丸ピーコックと合併し、イオンへと売却され、その際にこの菱野店はマックスバリュに移行されず…、1972(S47)年11月の開店から41年後の2014(H26)年3月31日をもって閉店となりました。
松坂屋ストア跡
ダイエー瀬戸店ができると聞いていましたが?
菱野団地が入居者を募集していた昭和40年代。当時の記憶がある人に話を聞きますと、2つの大きな宣伝文句があったそうです。ひとつは「当初は松坂屋ストアだけだが、近い将来ダイエーが近隣に開店する」、もうひとつは「国鉄の路線ができる」です。
ダイエーについては、当初は昭和50年代の早い時期に開店の計画だったはずが、かなり遅れてしまったものの1993(H5)年にダイエーハイパーマート瀬戸店として実現に漕ぎ着けています。ところがわずか8年で閉店。跡地はユーストア菱野店となり、現在もピアゴ菱野店として営業を続けています。
国鉄が走ると聞いていましたが?
そして、国鉄岡多線です。国鉄岡多線は、その名のとおり岡崎と多治見を結ぶ路線として計画され、1970(S45)年には貨物線として岡崎から北野桝塚までが開業、1976(S51)年には岡崎から新豊田まで旅客路線として営業を開始しています。
もうその頃には、岡多線の岡崎から瀬戸、瀬戸線の瀬戸から高蔵寺までの線路は建設済だったのですが、国鉄は1984(S59)年に第3セクターによる運営を各市に申し入れ、国鉄岡多線の岡崎-山口と国鉄瀬戸線の山口-高蔵寺を接続する形で、愛知環状鉄道として1988(S63)年1月31日に岡崎-高蔵寺間で開業したのです。
現在では、愛知環状鉄道は稀に見る第3セクター黒字路線となっており、JR東海として開通させてもよかったのではないかという声があるほどですが、当時はそんな未来が見込めなかったのでしょう。
かつて菱野団地のセンタービルには、計画時の菱野団地のジオラマがずっと置かれていまして、特に八幡台は実際とは全然違う建物構成になっていたのを記憶しています。そのことからも、そのジオラマがかなり古いものだと当時も思ったのですが…。
そのジオラマでは、国鉄が今の愛知環状鉄道の走っている場所とは別に、この菱野団地を貫く格好で、菱野団地のセンター前に駅があったはず。つまりは、この菱野団地のエビスヤ、東海銀行、松坂屋ストアは、国鉄の駅前にある格好になっていたのです。
それが、陳情レベルの妄想だったのか、実現性のある計画だったのかは知る由もありません。瀬戸菱野郵便局が拡張された際にジオラマは消えてしまったので確認のしようもありません。
かつて40数年前に入居した人たちは、休日はダイエーで買物をし、平日はここから国鉄で通勤するイメージを描いていたりしたのかな…と。ピークは過ぎ、駅はできることなく、スーパーも無くなり、休日ですら人影の全く無い空間。
自分が幼少期にワイワイと多くの同世代とはしゃいでいた場所で、ひとり駆け回る1歳の娘。今はここに住んでいるわけではありませんが、未来の菱野団地を目の当たりしながら、40年という時の流れを感じるとともに、娘が今の自分の歳になる未来は、今、自分が思い描いているものとは全く違うものになるだろうな…と思った休日の昼下がりでした。
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