ああ、昭和50年代の大阪

私は幼い頃から、大阪という街に憧れを抱いていた。

もちろん、東京への憧れほどでは無かったのだけれど、幼少の頃、テレビを通して見る大阪という街は、都会的で、面白くて、暖かいというイメージがあった。

我が家は愛知県にありながら、関西の番組を多く放送している三重テレビや、朝日放送、関西テレビが映った(今はちょっと無理)ということもあり、また、親の趣向も大阪好きだったことから、私はよく大阪のテレビ番組を見ていた。

昭和50年代の大阪のテレビ番組は、あのキダタロー氏の影響が大きいのだろうけど、必ず番組にはテーマソングがあって、歌詞に番組タイトルが織り込まれており、色使いの派手なテロップが画面いっぱいに動き、画面の切り替えにもスピード感があり、名古屋で作られている番組とは、その趣向も、方向性も、もちろん面白さも違っていた。

さらには、当時は名古屋のテレビやラジオ番組に、大阪のタレントが今よりももっと多く出演しており、なんだか当時の名古屋の放送には、ミニ大阪のような雰囲気があった。

ちなみに、今は無い。

大阪のテレビはトークのテンポも良く、司会の技も軽妙で、なおかつ、大阪の番組にはオープニングなどで、乱立するビル群が映されることが多く、「一体大阪ってどんなところ何だろう…」と憧れを抱きながら、そんなビル群が映されて始まる、「わいわいサタデー」「こんな時α」「ABCたいむ6」「2時のワイドショー」「おもしろサンデー」なんて番組を見ていたものである。

特に、上岡龍太郎さんの司会は大好きだった。親が話すところによると、私は幼稚園児の頃から上岡さんの番組が好きだったようである。何といっても、大阪の番組から学んだことと言えば、「オチ」が無ければ何も意味が無いということ。

私自身、今それが実行できているかどうかは自信が無いけれど…。

やっぱり、何を書くにあたっても、面白くなきゃ、人を振り向かせることなんてできないですものね。そこが、名古屋に一番足りないところだと思うので、これからも、笑ってもらえる名古屋のホームページ作り頑張ります。

と、自分にプレッシャーをかけてみる。

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コメント

  1. びょん吉 より:

    大阪が好きだったなんて…嫌いだとばかり

  2. >びょん吉 さん

    あくまでもテレビ番組のお話です。と言ってみるテスト。

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