報道のTBSって?

写真:TBS旧社屋とモニュメント(東京・港区)※資料写真

前回の日記で、来年春TBSは「報道のTBS復権をめざす」と書きましたが、今の若い人には、「報道のTBS」と言っても、なかなかわかってもらえないかもですね。

この感覚、ある年齢以上の人にしかわかってもらえないでしょうが、かつて、ニュースといえばTBS、ニュースと言えばJNNという時代があったのです。そう、あの事件でTBSが信頼を失うまでは…。

私が幼い頃の我が家もやっぱりそうで、台風や地震など有事の際はもちろんのこと、休日のお昼もそうでしたし、毎日夕方は必ず、TBSの「ニュースコープ」と、CBCの「ニュースワイド」に、チャンネルが合わされていました。

私がチャンネルを変えようものなら、特に「U」のニュースに変えると、「そんなチャンネルに変えるな」と怒られたものです。当時、中京テレビは名古屋唯一の後発UHF局ということもあり、格下に見られていたようです。

しかも当時、TBSのニュース番組は、ほとんどの番組のオープニング曲が共通で、特にこの曲は印象的で、かなり長い期間使われたこともあり、今も私の記憶にしっかりと残っています。オープニングで、スタジオ内をカメラが動き回るのも、TBSの独特なスタイルでしたね。

TBSを中心として形成されたニュースネットワーク、「JNN(Japan News Network)」は、日本で初めて結成された民間放送のネットワークであり、なおかつ、系列各社が地元新聞社とつながりの深い放送局であったため、自然とJNNがニュースに強い系列となっていったわけで、当時「報道のTBS」は本当だったのです。

実際、名古屋のJNN加盟局であるCBCも、名古屋で初めて夕方に30分の大型ニュースをスタートさせした局であり、全国ニュース、地方ニュースともに、大きな信頼を集めていたのです。ですから、ウチの両親もTBSとCBCのニュースを見るのが、当たり前だったわけです。

そう、オウム事件でTBSがああいうことになるまでは…。

その後は、主要4系列はどこも全国9割以上をカバーするネットワークとなり、TBSだけが全国の報道に強いということはなくなり、同じ土俵になってしまったことと、そしてオウム事件で自滅していき、今のイメージに落ちてしまったわけです。

TBSはそんな当時の「報道のTBS」に戻ろうとしているわけですが、果たして、数字を度外視して、利益を度外視してまで、報道を追い求めることが本当にできるのか、注目したいところです。

ところが、実際にあるのです。数字も利益も度外視して、高い理念を掲げニュースを長年放送し続けるテレビ局が…。そのお話はまた次回です。

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