最近、ちょこちょこと大須あたりをウロウロすることがありまして、そこで気になったのが、ずっと続いているテレビ愛知の工事です。かつてのアナログ放送では、テレビ愛知は「25」チャンネルで、略称である「TVA」のロゴマークにも「25」という文字が入っており、そのイメージがとても強かったものです。
しかし、
2003(H15)年に始まった、地上デジタル放送では、テレビ愛知は「10」チャンネルとなり、デジタルとアナログの両方が放送されている間は、その間に開局25周年もあり、一部を除いて、「25」という文字は消さずに併用していました。本社社屋の右上には、開局からずっと「TVA25」の文字が。
しかしです。2011(H23)年7月、アナログ放送が終了し、地上デジタル放送に一本化されると、テレビ愛知はイメージの一新を図ります。それまで、開局以来ずっと毎日使用してきた、「てれびあーいちー」というコーラスの入った、印象的な放送開始、放送終了映像を封印。ロゴマークからも「25」は消え、「TVA」のみに。本社の外壁からも「25」は外され、
社屋入口の銀色のサインポールも、「25」の部分だけ、銀色のシール状のものが貼られ、「25」を封印するようになりました。
ところが。テレビ愛知の工事は終わる気配がありません。すると、サインポールの「25」の部分に、テレビ愛知のマスコットキャラクターである、「といろちゃん」が貼られ、恒久的に「25」を封印。
さらに、本社外壁の「TVA」の部分に、ゴンドラが…。
ひょっとして、地上デジタル放送画面右上のウォーターマークが、「TVA」から「10テレビ愛知」に変わったように、ここも「10テレビ愛知」になったりするのかな?わからないですけど。
25チャンネルでなくなった以上は、25の面影は全て消す、ということなのでしょうね。寂しい気もしますが、仕方ないですね。でも未だに、「あ、25かけて」と言ってしまうことはありますね。
対照的に、デジタルでは「7」チャンネルになった三重テレビは、今でも社章は「33」のまま。この夏の高校野球県大会にも「33」の旗が掲げられています。ただ三重テレビの場合は、アナログの「33」チャンネルという意味だけでなく、「三が重なるテレビ」でマークが「33」という解釈はアリですからね。
しかし改めて考えると、三重テレビが「33」チャンネルというのは、出来過ぎだったんだなあ。
テレビ愛知って、開局からかなりの期間、ずっとコアラのイメージだったよね。
コメント
同様に、三重がデジタルで9にならなかったのは私には残念です。
三重=3が重なる=3×3=9ですから。
もちろん、これならテレビ愛知も7になれたという意味もないことはないのですけどね。
大須のどこのメイド喫茶をウロウロしてるんですか?最近ということは大須カミナリランドでしょうか。
>あざとしさま コメントありがとうございます
三重テレビが「7」を取らなくとも、
テレビ愛知はもともと「7」にする気は無かった
という記事を見た記憶があります。
>びょん吉さま コメントありがとうございます
大須のメイドカフェは行ったこと無いんですよね。
大須カミナリランド、この前通りがかりました。
ビールが飲めたら楽しそうですけど、飲めないので…。
テレビ愛知のデジタルID「10」には今なお納得できません。テレビ愛知は他のテレ東系列局と同じ「7」であるべきで、10は文句なく三重TVが使うべきです。それにもう一つ言わせてもらうならぎふチャンも何で三重TVに遠慮して「8」になってしまったんでしょうか。これも納得できません。ぎふチャンは全国「初」のUHF局でした。なのに三重TVが「7」を取ったのは何様?と言わざるを得ません。三重TVへの文句だらけになってしまいましたが、チューナーは「7」をテレビ愛知にしています。
>tmc1973さま コメントありがとうございます
デジタル化の計画が持ち上がった当時の新聞に、
テレビ愛知は「8」を希望するとありました。
理由としては、7は中京テレビのイメージが強すぎる、
名古屋にとって8という数字には親しみがあり末広がりで縁起も良い、でした。
しかし8は取れず10になったという経緯です。
ですので、どちらにしろ、
テレビ愛知は7になるつもりはなかったということです。
だから三重テレビは7をとったのでしょう。
中日グループ同士ですから、意思疎通はしていたでしょうし。
お久しぶりです。。。<(_ _)>
さて――、
「“7”は、中京テレビを連想させる――」
――20年以上前ですが、わが家にリモコン付きのテレビが入ったときのことを、思い出しますね……。
確かに、そんな風にチャンネル設定をしていた気がします。
でも、これから更に時が過ぎ、地デジしか知らない世代が多数を占める時が来たら、そんな事自体、忘れ去られている気がしますけどねぇ……。
何しろ、中京テレビにせよ福岡放送などにせよ、開局当初は見られるテレビ受像器が限られた台数しか無かった関係上、コンバーターが必要で、その普及活動までしていた――と言う事すら、知らない人が多い昨今ですからね……。
今回の記事を見て、そんな事を感じされられますね。
今後の更新、楽しみにしています。
それでは、またです。。。(^ー^)ノ~~~~
>Masayaさま コメントありがとうございます
この考察、難しいのですが、
きっと本音と建前があると思うのですよね。
中日グループとしての建前。
なので、その連想というのも建前のような、
そんな気もしないではないです。
開局当初テレビ愛知は「4」へのプリセットを
推奨していましたが、さすがにデジタルで「4」は
テレビ愛知がゲットするのはどうしたって無理でしたでしょうしね。