伝説の深夜ラジオ復活祭は名古屋のラジオ&タレント復活の起爆剤となるか

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今週、CBCラジオで25日から28日の4日間にわたって、「伝説の深夜ラジオ復活祭」と銘打たれた特別編成がありました。現在の30代から50代にかけての世代が、青春を謳歌していた頃に放送されていた、名古屋ローカルの夜・深夜の生ワイドが連日復活という形で放送されたのです。

実は、私は少年の頃からラジオっ子ではあるのですが、残念ながら、夜になるとCBCラジオは、北からの強力な電波とその南の妨害電波によって、聞けないラジオ局だったので、どれも「番組タイトルは知ってるのだけど…」「名古屋の人気番組として雑誌に載ってたけれど…」ということで、復活祭でありながら、CBCの夜のローカルワイド初体験となりました。

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月曜日は「星空ワイド今夜もシャララ」
1977(S52)年春から82(S57)年の秋まで5年半、23時から24時台にかけて放送されたもので、今回の復活祭ではつボイノリオさんと伊藤秀志さんが担当。当時の音声もたくさん登場し、まさに復活祭。つボイさんと秀志さんの飛ばし具合はもちろん最高でしたが、名古屋オリンピックの生々しいエピソード、聞きごたえありました。

そしてその今シャラの後番組、1982(S57)年秋から1989(H元)秋まで7年間、21時から、全盛期には深夜24時40分まで、3時間40分にわたって放送されたのが、「小堀勝啓のわ!Wide とにかく今夜がパラダイス」、木曜日に復活となりました。

小堀さんとリスナーのやりとりが最高ですね。「そんなこと公共の電波で言っちゃっていいの!?」というギリギリ感、それでいてソフトな語り口であたたかく、当時、全国区の雑誌の人気投票で毎回上位にランクインしていたのも頷けます。

小堀さんはこの番組のあと、テレビへと移られ、「CBCニュース通り・小堀勝啓の時代塾」「ミックスパイください」で人気を博し、名古屋ローカルバラエティの一時代を築かれたんですよね…。

今ではその、題材も出演者も皆ローカルという、名古屋ローカルバラエティという括りの番組が壊滅していることからも、小堀さんとそのブレーンの力がいかに大きかったかがわかります。

小堀さんがテレビに移られて、わ!Wideの後にラジオではじまったのが、「CREATIVE COMPANY 冨田和音株式会社」1989(H元)年秋から1994(H6)年春まで4年半放送され、今回は水曜日に復活しました。

番組を会社になぞらえて、冨田アナが社長、そして副社長として伊集院光さんが木曜パーソナリティをつとめ、生出演ではありませんでしたが、今回、録音でしかも名古屋のCBCから伊集院さんが登場されたことは、往年のファンには感慨深かったことと思います。

そして、秘書室長の鉄崎幹人さんが登場。「名古屋のオカン」という曲をひっさげて、名古屋によくいるタイプの母親をテーマにしたコーナーは、大喜利感もあって、笑えました。

しかし皮肉なのは、今は、鉄崎さんのような名古屋のローカルタレントが、名古屋で活躍する場に恵まれず、この「名古屋のオカン」という曲は、鉄崎さんが現在パーソナリティを務めている、静岡放送SBSラジオの番組から生まれ、名古屋がローカルタレントを育てない姿勢になってしまったことへのアンチテーゼにもなっているものなので、笑えた一方で、なぜこの笑いが静岡からの逆輸入になっているのか…という思いが頭をめぐりました。

冨カンのあと、CBCの夜ワイドは、「メディアキング電波ファイター」「K’s UP」そして、1998(H10)年春から翌年秋までの1年半放送されたのが、「戸井康成の生ラヂオ」。この番組が火曜に復活しました。

戸井康成さんの番組は、現在でもこの地方で聞くことはできるのですが、この、夜に、名古屋発の番組で、戸井さんとそして長谷川満さんのいかにも地元なやりとりを聞くことで、「ああ、もうこれ、今は無いんだよね」と感傷に浸らずにいられませんでした。

なぜそう思えてしまうのかといえば、この「生ラヂオ」のあと、CBCラジオの夜ワイドは「本気汗」を経て、2000(H12)年秋、「BATTLE TALK RADIO アクセス」に。そう、東京・TBSラジオからの番組ネットに変更されてしまうのです。

裏の東海ラジオも、夜ワイドは「あんびるとよぞうラジオナイト」を最後に、2000(H12)年春に東京・ニッポン放送の「allnightnippon SUPER!」に変更されており、今も、曜日によっては残っている枠もあることはありますが、月曜から金曜まで帯での、名古屋発AMラジオの若者向け夜ワイドというものは、CBCに限らず、名古屋から消え去ってしまっているからなのです。

深夜に残っていた東海ラジオの25時からの「東海ラジオミッドナイトスペシャル」も金曜日以外は昨年の秋に東京・文化放送からの「リッスン?」へと切り替えられました。

ラジオ離れもあるでしょうし、夜ワイドは若者が聞いてこそなので、少子化の影響もあるのでしょう。この「源流」ともいえる夜のローカル生ワイドが消滅したことで、夜のワイドで名古屋のアナウンサーや地元タレントが育ち、その後ローカルの芸能界で花を咲かせるという流れが断たれ、今や名古屋ローカルのテレビ番組は、東京・大阪からやってきたタレントの稼ぎ場と化しています。

数年前、CBCの「花咲かタイムズ」と大阪・毎日放送(MBS)の「せやねん」がテレビでコラボして、それぞれのローカル土曜朝ワイドを相互乗り入れさせた際、「花咲かタイムズのなかで名古屋出身の方ー?」とMBSの番組のトミーズ雅さんが質問したのです。

すると…誰も手をあげず、名古屋ローカルの人気番組が、名古屋出身者ゼロという現実、しかもそれが、かつては名古屋ローカルのバラエティ番組を牽引してきた、CBCでの出来事であることに、名古屋っ子としては閉口を通り越して、絶望ともいえる感覚をおぼえました。

さて、今回の「復活祭」は、レイティング(聴取率調査)のタイミングで行われたわけではなく、ある映画がドーンとスポンサーでついたことで実現しました。その映画とは「REDリターンズ」この映画は、世界が滅亡の危機に晒され、それを阻むため、超危険人物といわれた、引退したスパイたちがカムバックし、32年前のミッションを遂行するというもの。

なるほどね…。

今や、名古屋のラジオもローカルタレントを取り巻く環境も、まさに滅亡の危機に晒されていると。実際、帯の夜のローカルAM生ワイドは、13年前に消滅して滅亡してしまっていますからね…。

映画はまだ見ていないので、結末はどうなったのかわかりませんが、今回の「伝説の深夜ラジオ復活祭」が、名古屋の夜のローカル生ワイドを、ローカルタレントを、滅亡の危機から救う起爆剤になるのかどうか。「NAGOYA RADIOリターンズ」の結末はいかに。

BCLって響きが懐かしい…

この記事を書いた人

TOPPY/川合登志和

記事や脚本を書いたり、名古屋のラジオやテレビの構成作家をしたり出演したり、地域のFMラジオで喋ったりディレクターしたりミキサーしたり、講師したり、サイト作ったりしてます。

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コメント

  1. びょん吉 より:

    管理人さんが大好きだった「矢野印」はスルーされましたね

  2. TOPPY/川合登志和 トッピー より:

    >びょん吉さま コメントありがとうございます

    矢野さんは、今は違う局で、
    朝の帯番組やってらっしゃいますからね。
    今回の復活でも可能性は最初から無かったのではないか…
    ということで書きませんでした…。

  3. サンテミリオン より:

    ローカルタレントが育たない。これは地勢の問題もあるでしょう。
    東京と大阪いずれからもタレントを呼びやすいという理由で。
    逆に東京から大きく離れた札幌や福岡は独自で
    タレント文化圏を築いてますからねえ。

    昔から「名古屋は芸どころ」と言われていますが、
    こと現代に関しては、その言葉に対し疑問符を付けたくなります。

  4. TOPPY/川合登志和 トッピー より:

    >サンテミリオンさま コメントありがとうございます

    その地勢の問題はわかるのですが、
    なぜ20年前まではその環境下にありながらも、
    名古屋の芸能界が独特に存在し得たのか、
    それがどうして衰退してしまったのか…。
    そこには深夜ラジオが大きく影を落としている気がしてなりません。

  5. 長谷川明弘 より:

    大学の時の友人が小堀さんの大ファンでした。CBCに勤め、おそらくこの企画のディレクターか何かを任されていて張り切っていました。
    記事にも書いておられましたが、30-50歳の世代が若かりし頃のラジオリスナーとして独特の文化を醸成していたのですね。
    愛知を離れてから20年近くになりますが、現在、名古屋圏から活躍しているアーティストとしてSEAMOやHomemade 家族、西野カナなどがいますが、彼らは私よりさらに若干若い世代でローカル番組が根付いていた中から誕生したのかどうか気になるところでした。

  6. TOPPY/川合登志和 トッピー より:

    >長谷川明弘さま コメントありがとうございます

    ファンから中の人へ、というのは本当にすごいことだと思いますし、
    今回の企画に携わられているということは、その思いの強さは、
    とても強いものだったのではないかと想像できます。

    SEAMOさんは、別の芸名で東海ラジオの深夜番組をやってましたね。
    HOME MADE 家族はメンバーの一人が豊田市のコミュニティFMで
    番組をやっていたそうです。、
    今では東海ラジオの深夜も金曜以外は枠が無くなってしまっていますが、
    地元アーティストの発掘には力を入れている印象はまだあります。

    ただ、いわゆる「ローカルタレント」とは、また違うんですよね。

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