名鉄三河線一部区間廃止のお話その2

先日廃止された名鉄三河線のお話の続きです。今回の廃止区間、西中金~猿投間に「三河広瀬」という駅があるのですが、この駅の近くには「広瀬やな」という施設があります。

「やな」とは川を竹や木を並べてせき止め、魚をとるものです。私は幼い頃、親によくここへ連れてこられました。鮎のつかみ取りも思い出しますが、深緑色の川面を、浮き輪に乗って流されるのがとても好きでした。

矢作川の水流は速く、少し気を抜くと釣りの人がたくさんいる川下へと流れていってしまい焦ったこともしばしばでした。

川辺で捕りたて焼きたての鮎を頬張ったり、流れの急な川を横切って、橋の支柱の土台に登り、川の流れの音に耳を澄ましたり、と小学生時代の夏の思い出として、この広瀬やなの情景は私の心に深く刻まれています。

そして、30分に1回くらい「ゴトゴト」という音をたててやってくるのが三河線の列車でした。当時はまだ電車で、時に「プワ~ン」とホーンを鳴らしながら、そして「カーン、カーン」というアナログな踏切の音が山間に響きました。

中学生になってからは、親と出かけるということも少なくなり、広瀬やなにはすっかり行くことがなくなってしまいました。今回、久しぶりに広瀬を歩き、橋が新しくなり幅が広くなっていることに驚きました。

もう今度の夏ここへやってきても、踏切の音も、列車の音も聞くことはできないのだなぁ。あの情景を二度と感じることはできないのだなぁ。と思うと少し寂しくなりました。

しかし、今回の廃線についてはそんな感情的な話を持ち込むことはできません。枝下駅にあった、「乗ろう!!育てよう!!レールバス」という錆付いた看板に切なさを感じます。

さて今回の廃線について、私自身がどうこう言う資格はありません。なぜなら、大学時代に猿投地区でアルバイトをしていたり、沿線のやなに遊びに来たことのある私でさえ、この路線に乗るのは今回が初めてでした。

幼い頃、やなに遊びに行くときは必ず親の車でしたし、私自身が免許を取ってからは、西中金の奥にある紅葉の名所「香嵐渓」に行くときも必ず車、猿投駅の横を車で通ったことはあっても、その駅で列車に乗ったことはなかったのです。

廃止が決まって初めて乗ったような私に、やはり、今回の廃線についてどうこう言う資格は無いのです。

名鉄は岐阜市内線など、さらに路線の廃止を計画しています。列車というのは、普段から利用することが存続の力となります。廃止案が出てきたときにはもう遅いのです。公共交通機関、放っておいてもいつまでもある、そういう時代ではないのですね。

この記事を書いた人

TOPPY/川合登志和

記事や脚本を書いたり、名古屋のラジオやテレビの構成作家をしたり出演したり、地域のFMラジオで喋ったりディレクターしたりミキサーしたり、講師したり、サイト作ったりしてます。

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