所用がありまして、新栄を通りがかりますと、やっぱり、目が行ってしまうのが、中部日本放送、CBCです。この、いかにも放送局な社屋「CBC会館」。CBCが計画している再開発によって、やっぱりはなくなってしまうのかなあ…と。この地方で生まれ育った方のなかには、
一度はこのCBCに訪れたことがあるという人も多いのではないでしょうか。自分は、子どもの頃だけで3回来ています。
初めてやってきたのは少年時代で、母親に頼んで頼んで、社屋公開のイベントに連れてきてもらいました。大きなラジオスタジオに、ドラマのセットが組んであったテレビスタジオ、そしてテレビマスターに感動し、おみやげとして、小学生参加番組だった「天才クイズ」の帽子と、テレビの静止画番宣のスライドをもらった記憶があります。
さらに、小学生の時は吹奏楽で、中学生の時には合唱で、CBC子ども音楽コンクールに出場し、CBCホールの舞台に立った記憶もあります。
このCBCの社屋が完成したのが、1956(S31)年といいますから、なんともう57年も前のことになります。今は、ほとんどの放送が、1998(H10)年に完成した「CBC放送センター」からの送出になっていますが、かつてCBC会館から放送されていた頃は、ラジオもテレビも生番組は1階で制作されていて、通りからその様子を見ることができましたよね。
そんなCBC会館の壁面には、大きく「CBC」のロゴが掲げられているのですが、幼い頃の印象だと、もっと細かった気がするんですよね、CBCのロゴ。そのナゾを解く鍵は、近くの駐車場にあります。
それがこちら、「CBCパーキング」です。この駐車場は、CBCが運営しているもので、局のキャラクターである「ころんちゃん」のイラストなどもあるのですが、その右上のロゴ、
細いんです。下の現在のCBCロゴと見比べると、一目瞭然です。やっぱりCBCって、これ、ロゴ変えてるんだよね?昔は細くて、駐車場の右上のロゴは当時のままなんだよね?
さあ、再開発です。まさか、再開発にあわせてロゴを変えるなんてことはしないと思いますが、なんか、CBCのことだから、中京テレビが新社屋でアピールするタイミングに、再開発をぶつけそうな気がするのは、気のせい…かな。
※気のせいでした
「もう一度食べたい!」っていうか、もう一度見たい…かな。
コメント
最近は観ていないのでわかりませんが『鶴瓶のスジナシ』がこのCBC会館での収録ですよね。楽屋や通路が映るときに年季が入っているスタジオだと思ったら、そんなに前の局舎とは驚きです。
CBCや東海テレビ、テレビ愛知と、中日系各局は頑なにロゴは変えないイメージですが、CBCは老舗とは言え意外と軽さもある局なので、ある日あっさりと変えてしまうのではという予感もします。
30年ほど前、CBCラジオで放送している「土曜天国」(今でも放送しているみたいいですね)のサテスタを見に行った記憶があります。
伊藤秀志さん(あまり聞かないけど今でも活躍しているのかな?)と権田ますみさんという方がパーソナリティだったと思います。
>ネモッチさま コメントありがとうございます
そうですね。
ああいうセットの組める大きなスタジオでの番組は、
今もCBC会館での収録だと思います。
そういえば、一時期変えたりということはありましたが、
名古屋って、中日系3局はもちろん、中京テレビも、
昔からのロゴを使い続けていますね。
MBSも変えていますし、ひょっとすると…あるかもしれませんね。
>樋口正孝さま コメントありがとうございます
見に行かれたことあるんですね~。
当時は、ワイドはレインボースタジオからの
放送でしたので、本当にサテスタという感じで、
身近に感じられましたよね。
おとなりの県の岐阜放送は、
今でもそのスタイルを続けていますね。
私が今の様な筆記体タイプのCBCロゴを初めて目にしたのは、昭和40年代末頃ではなかったかと記憶しています。
それ以前は呼出符号や「ch.5」等の表記と同じ書体でした。
角の丸い斜体のブロック体みたいな感じですね。
今はレインボースタジオやTVのフロントスタジオばかりでなく、松坂屋本店やエスカにあったラジオのサテライトスタジオも無くなってしまいましたね。
CBCのロゴは、1982年頃にロゴが太くなっていますね。ロゴが太くなったのを機に、オープニングやクロージングも撮り直されていますね。
中京テレビのOP、CLよりも、CBCの方が好きです。
>いちみ。さま コメントありがとうございます
筆記体になる前のCBCのロゴは、
今も社章としては現役でしたっけね。
ですね、あの立体のですよね。
時代がだんだん変わってきたというのはあるのでしょうね。
末期はレインボースタジオのガラスも割られたそうですし、
今はなかなか…なんでしょうね。
岐阜放送のように、
管理が行き届いたビル内での通路から見える程度の公開というのが、
限界なのでしょうね。
>ともたろうさま コメントありがとうございます
82年頃なんですね。
どおりで、だとすると記憶にある年代です。
オープニングやクロージングに、
その放送局のアイデンティティがよく現れていた
そんな時代でしたね。